ロッシ、悪夢の2年間。MotoGP伝説の王者の再戴冠はあるのか? (2ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 ロッシのリクエストに応える形でドゥカティのゼネラルディレクター、フィリポ・プレツィオージはマシンにどんどん変更を加え、ストーナー時代とはまったく別モノといっていい仕様に変わっていった。しかし、ドゥカティのDNAともいわれる旋回性の低さが12年シーズンも劇的な改善を見せることはなかった。

 窮したドゥカティ陣営はこの年の初夏、ロッシのヤマハ時代にマシン開発を指揮した古沢政生を自陣へ招聘(しょうへい)するというアクロバティックな策を試みる。この話題は当初、真偽のはっきりしないゴシップとも思われたが、すでにヤマハを退いていた古沢に、直接コンタクトを取って訊ねてみたところ、プレツィオージとイタリアで面会したことを認めた。

 古沢は古巣のヤマハへの仁義を貫き、ライバルであるイタリア企業の陣営への加入を辞退。だが、この一連の事実に関する経緯を日本や欧州のメディアに寄稿すると、パドックは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。一時はピットレーンでドゥカティのガレージ前を歩くたびに、中にいる彼らの視線がこちらの背中を追いかけてくるといった、なにか無言の圧力のようなものも感じた。

 というのも、12年のこの時期はすでに成績不振に辟易したロッシのドゥカティ離脱が水面下でささやかれていた。古沢獲得作戦は、ロッシをつなぎ止めておきたいドゥカティにとって、ある意味では最後の頼みの綱でもあったからだ。

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