2019.10.24

ラリードライバー篠塚建次郎は70歳。
パジェロが年8万台売れた頃を語る

  • 川原田剛●取材・構成 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

篠塚建次郎インタビュー(前編)

 世界ラリー選手権(WRC)と、世界一過酷と言われるパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)の両方で日本人ドライバーとして初めて総合優勝を飾った篠塚建次郎。

日本ラリー界のレジェンド、篠塚建次郎が自身のドライバー人生について語った 日本ラリー界のレジェンドは2007年を最後に競技の第一線から退き、学生たちとともにソーラーカーや電気自動車などのレースイベントに出場していた。
 2018年12月、70歳を迎えた篠塚は12年振りにアフリカ・サハラ砂漠でのチャレンジを開始した。モナコからセネガルのダカールまで約6500kmもの距離を走る『アフリカ・エコレース』。それが新たな挑戦の舞台だ。
 しかし、かつてのように自動車メーカーが全面バックアップし、資金と人材が豊富にそろい、優勝を狙える態勢ではない。完全なプライベーターで、スポンサーは自分の足でかき集め、苦労の末に再びサハラ砂漠にやって来た。
 そして篠塚は、アフリカの広大な砂漠を見事に完走した。今年11月、またひとつ年を重ねる篠塚だが、その情熱はまったく衰えることがない。「またアフリカで走りたい。僕にはまだパワーが残っているんです」と語る篠塚に、アフリカに挑み続ける理由を聞いた。

――篠塚さんがラリードライバーをするようになった経緯を教えてください。

 僕は大学に入学した直後、友人に誘われラリーを始めました。プライベーターとして国内ラリーに参加しているうちに、いろんな関係者と知り合いになり、たまたま三菱の方に「来年、うちのマシンに乗らないか」と声をかけられました。

 まずはナビゲーターからスタートし、大学4年の時には三菱の契約ドライバーとなりました。だから大学を卒業する時には、そのまま契約ドライバーとして三菱が迎えてくれると思っていたんです。契約ドライバーといえばお金もいっぱいもらえて、好きなラリーに専念できて、女性にもモテると思っていました(笑)。

 ところが、いざ就職の時期になると、三菱の方が「ラリードライバーという職業はまだ日本にない。それに会社が来年ラリーをやらないと言えば、それで職業がなくなってしまう。社員になるのがいいんじゃないか」と言われました。

 結局、普通に入社試験を受けて三菱自動車の社員になり、平日は普通の業務をこなし、週末は国内ラリーに出場するという生活を送ることになりました。