2019.10.25

70歳で現役。伝説のラリードライバー
篠塚建次郎は「喜寿まで走る」

  • 川原田剛●取材・構成 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

篠塚建次郎インタビュー(後編)

 三菱の社員ドライバーとして、世界ラリー選手権(WRC)とパリダカで日本人初優勝という偉業を達成した篠塚建次郎。2002年のパリダカは3位で終えたが、会社から後進に道を譲ることを求められた。しかし本人はあくまで現役として戦うことを望んだ。
 会社との話し合いは物別れに終わり、篠塚は30年間のサラリーマン生活に別れを告げ、ひとりのラリードライバーとして生きていくことを決断する。この時、すでに53歳。「この先、どうかなるのは何も決まっていなかったので不安だった」という篠塚だったが、ある日本の自動車メーカーが声をかけてくる。

70歳となった今も、現役レーサーとして走り続ける篠塚建次郎――三菱を退社されたあと、どうするかは決まっていたのですか?

 ラリーを続けたいという気持ちはあったのですが、別に何も決まっていませんでした。すごく不安でしたが、海外にいると結構、他のメーカーの人とも食事をする機会があったりするんです。たまたまニッサン・フランスの社長と食事をした時に「ニッサンもパリダカ参戦を考えている」と。

 それでいろいろアドバイスをしていたら、「もし三菱をやめて何も決まっていないなら、うちで走ってくれないか」とオファーを受け、とんとん拍子に話が決まっていきました。2002年の秋にはニッサンと契約して、03年にはもうパリダカに出場することになりました。

――ついに契約ドライバーになったんですね。

 そうですね。たくさん、お金をいただきました(笑)。その当時、ニッサンの社長をつとめていたカルロス・ゴーンさんが「4年以内に3位に入ってくれれば、さらに3年間活動を続ける」と約束してくれました。

 ニッサンでの初年度となった03年のパリダカで、僕はずっと3位を走っていました。おとなしくそのままポジションをキープしていれば、さらに契約が続いたんです。初年度で目標達成ですからね。でも前を走る2台が古巣の三菱で、走り屋の本能が出ちゃった(笑)。

 もっと上に行こうと思って、無理して攻めて大クラッシュ。その結果、リタイアに終わり、ケガをしてしまいました。日本やフランスでは「篠塚が重体になった」と報道されて、ニッサンにとってはネガティブイメージになってしまったのです。そのためにワークス契約を1年で切られてしまいました。