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諸見里しのぶの新たなチャレンジ
「引退という言葉は使いたくない」

  • 金明昱●取材・文 text by Kim Myung-Wook
  • photo by Getty Images

 ツアー通算9勝の諸見里しのぶが今シーズン限りで、ツアープロとしての第一線から退くことを決心した。

 沖縄県出身で、アマチュア時代からプロトーナメントでも活躍していた諸見里。同郷のひとつ上の先輩・宮里藍をはじめ、横峯さくら、同期の上田桃子らとともに、日本女子プロツアーの発展に貢献し、一時代を築いた。

第一線から退く諸見里しのぶ(中央)。ともに戦ってきた面々に労われての記念ショット第一線から退く諸見里しのぶ(中央)。ともに戦ってきた面々に労われての記念ショット 2005年にプロテストに合格すると、プロデビュー戦となる日本女子オープンで、いきなり5位と健闘。その後に出場した2つのトーナメントでも、4位タイ、2位タイという好結果を残して、出場わずか3試合で翌年のシード権を獲得した。そして、ツアー本格参戦初年度の2006年にはツアー初勝利を遂げ、翌2007年には国内メジャーの日本女子オープンを制した。

 さらに、プロとして栄華を極めたのが、2009年シーズン。ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップと日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯の国内メジャー2勝を含め、年間6勝を飾って、賞金ランキング2位という成績を収めた。

 しかしその後は、ツアー優勝から遠ざかり、下降線をたどっていった。2012年シーズンまでは賞金シードを獲得していたものの、2013年には賞金ランキング71位と急降下。2009年のメジャー大会2勝で得た5年シードによって、2014年シーズンまでのツアー出場権は保持していたが、そのまま長期の不振に陥った。

 その結果、2015年シーズンはプロになって初めて、QT()からのレギュラーツアー参戦を余儀なくなれた。この頃から、体のコンディションも悪くなり、アレルギーや肋骨の痛みなどに悩まされたという。
※クォリファイングトーナメント。ツアーの出場資格を得るためのトーナメント。ファイナルステージで40位前後の成績を収めれば、翌年ツアーの『リランキング』までの大半の試合には出場できる。

 2016年シーズンは、QTに不参加。主催者推薦の試合にだけ出場したが、すべて予選落ちを喫し、獲得賞金は0円となった。これまた、プロになって初めての経験だった。

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