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【ワールドカップ】アルゼンチンが「世界の嫌われ者」になっていった歴史 メッシの存在がその風潮を変えた (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Takeo Goto

【1990年W杯 イタリアで嫌われたマラドーナ】

 今から36年前の1990年イタリアW杯ではマラドーナのアルゼンチンがW杯連覇に挑戦した。

 マラドーナは1986年メキシコW杯では"神の手"や"5人抜き"など数々のスーパープレーで世界を魅了し、アルゼンチンは西ドイツを破って2度目の優勝を飾っていた。

 だが、1990年イタリアW杯ではマラドーナは両膝に故障を抱えて万全からはほど遠い状態。開幕戦でカメルーンに敗れたアルゼンチンだったが、グループリーグを3位で通過すると、ラウンド16では宿敵ブラジルに圧倒されながらマラドーナのドリブルからクラウディオ・カニージャの一撃で勝利するなど、驚異の粘りで決勝まで勝ち残った。

 4年前と同じ西ドイツとの顔合わせとなった決勝戦は、守備的サッカーが横行していた時代を象徴するような試合展開で、スコアレスのまま迎えた85分にアンドレアス・ブレーメがPKを決めて西ドイツが雪辱を果たした。

 この時、決勝戦の舞台となったローマのスタディオ・オリンピコのスタンドは西ドイツの応援一色だった(現在のようにアルゼンチン本国から数万人のサポーターが詰めかけるといった時代ではなかった)。そして、試合後の表彰式では涙に暮れるマラドーナに対して容赦ないブーイングと口笛が浴びせかけられた。

 あの時、人々はなぜそこまでマラドーナとアルゼンチンを忌み嫌ったのか......。

 ひとつにはきわめてイタリア的な事情があった。

 当時、マラドーナはセリエAのナポリでプレーしていた。

 イタリアは南北の地域間格差が大きな国だ。南部は豊かな北部から一種の差別を受けていた。そんななかで、マラドーナのナポリは1986-87、1989-90シーズンにスクデットを獲得した。南部のチームがセリエAで優勝するのは1969-70シーズンのカリアリ以来のことだった。

 ナポリの優勝は南部の人たちからすれば「歴史的快挙」だが、それまでタイトルを独占し続けていたユベントスやミラン、インテルなどの北部からすれば「マラドーナにタイトルを盗まれた」ということにほかならなかった。

 そのナポリの2度目の戴冠はイタリアW杯開幕直前のことだった。

 W杯でロベルト・バッジョやサルバトーレ・"トト"・スキラッチの活躍で順調に勝ち上がってきたイタリア代表の前に準決勝で立ちはだかったのは、そのマラドーナ率いるアルゼンチンだった。

 しかも、会場はよりによってナポリの本拠地スタディオ・サンパオロだったのだ。

 当日、ローマの新聞は「ナポリはイタリアか?」という見出しを掲げた。「ナポリの人たちはアッズーリとマラドーナのどちらを応援するのか?」という疑問を投げかけたのだ。

 ナポリの人たちも、複雑な気持ちを抱きながらもイタリアを応援した。だが、イタリアはアルゼンチンの前に敗れてしまったのである。

 イタリアの人々のそうした複雑な感情が、西ドイツに敗れて涙に暮れるマラドーナに注がれたというわけである。

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