メッシが兄と慕ったアルゼンチンの先輩10番 全盛期のリケルメは「王様」だった (3ページ目)
【走らない、戦わない、守らない】
何しろ、ボールロストが極めて少ない。足もとに収めさえすれば、相手に奪われるリスクはほとんどなかった。キープ力だけで「銭が取れる」希少なタイプだった。相手DFに囲まれたとしても、足の裏で「ボールとダンスを興じながら」やすやすとピンチをくぐり抜けていく。
また、リケルメはフィジカルも強かった。イエロー、レッド覚悟の悪質なタックルをものともしない。マーカーとの距離を保つため、ファウルを取られない程度に腕も巧みに使った。いったい、どのようにすれば彼のプレーを無効化できるのか......。全盛期のリケルメは対策の施しようがないほどのレベルにあり、王様然とした振る舞いが許されていたのである。
もちろん、欠点もあった。走らない、戦わない、守らない──「新三無主義」を唱えているかのように、トップ下の位置から動こうとしない。相手ボールになると、同時に試合から消えた。アスリート色が濃くなりすぎた21世紀のフットボールでは、多くの監督に嫌われるタイプといって差し支えない。
ただ、先述したキープ力に加え、瞬時にして戦局を把握する状況判断のよさは、アートと言うか、名人芸と呼ぶべきか。ある時はスペースに、またある時は足もとに、誤差ミリ単位のパスを送る。プレスがかかればDFに一旦預け、ちょっとだけジョグしてリターンを受け取る。
だからこそ、多くの関係者が「マエストロ」(芸術家・専門家に対する敬称)と評したのだ。彼がタクトを振った瞬間、スタジアムはフットボール特有の楽しさに包まれる。
リケルメを兄と慕い、その背中を常に追い続けていたリオネル・メッシも、「憧れ・目標」と語っていた。このひと言でも、リケルメのすごさがうかがい知れる。
2007年コパ・アメリカを終えたあとは、負傷が重なりアルゼンチン代表であまり活躍できなかった。当時のマラドーナ監督との確執も深刻で、お互いにメディアを通じてののしり合ってもいる。
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