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メッシが兄と慕ったアルゼンチンの先輩10番 全盛期のリケルメは「王様」だった (2ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【2006年W杯でアシスト連発】

「リケルメの獲得に、私はいっさい関与してない。クラブ側の政治的な配慮だ」

 監督からは一切、信頼されなかった。不慣れな右ウイングに起用される不遇も味わう。

 ファン・ハールの後任であるラドミル・アンティッチの構想からも漏れ、2003年夏にはロナウジーニョがバルセロナにやってきた。リケルメが1年足らずでバルセロナを退団(ビジャレアルにローン移籍)したのは当然だ。

「ファン・ハールには称賛される面もあるけれど、独善的な振る舞いに苦しめられた者も少なくない。リケルメがバルセロナで活躍できなかったのは、あのオランダ人が愚か者だったからだよ」

 カタルーニャの古豪で同じ釜の飯を食ったフリスト・ストイチコフも、リケルメをフォローしている。

 自由にプレーしたいリケルメと、システマテックなファン・ハールでは100パーセント合わない。2002年の移籍市場を取り仕切っていたのはジョアン・ガスパール会長だ。失敗の責任はすべて彼にある。

 アルゼンチン代表でも、なかなか定位置をつかめなかった。リケルメと同じく「ディエゴ・マラドーナの後継者候補」と言われたいパブロ・アイマール、フアン・セバスティアン・ベロン、マルセロ・ガジャルド、アリエル・オルテガとの争いは熾烈を極め、1998年と2002年のワールドカップは選外になった。

 しかし、2006年ドイツ大会は面目躍如。エースナンバーの10番を背負ったリケルメは、チームの攻撃を完全に仕切った。彼が起点となってチーム全体で24回もパスをつないだセルビア・モンテネグロ戦ではプレーヤー・オブ・ザ・マッチに輝き、メキシコ戦では見事なCKでエルナン・クレスポのゴールを導いている。

 準々決勝でドイツに敗れたとはいえ、リケルメは大会最多タイの4アシストを記録。その才能を満天下に知らしめた。

 2007年のコパ・アメリカは決勝でブラジルに敗れたが、リケルメは5ゴールで得点ランキング2位。アルゼンチン代表のなかで存在感を高めていく。

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