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バルセロナのペドリが円熟の境地 「テクニックはフィジカルに優る」を体現する22歳はCLでも輝くか (3ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji

【フィジカル重視の時代に異質】

 サッカーからファンタジーがなくなったという意見をたまに聞く。プレーメーカーがいなくなったとも。

「1960年代は技術だった。我々の時代(1970年代)も基本的にはまだ技術だった。しかし、今はただ選手は走るだけになってしまった」

 ヨハン・クライフがこう言った時の「今」は1980年代だ。最近ではフランチェスコ・トッティが「今のサッカーはつまらない」という発言をしている。この手の体力重視、技術軽視へ警鐘を鳴らす発言は、実はずっと以前から続いている。

 では、本当にサッカーはつまらなくなり、技術は低下しているかと言えば、とてもそうは思えない。試しに1970年代の試合を見てみればいい。どの試合を見るかにもよるが、現在の技術は格段に向上していることがわかるはずだ。

 技術が低下しているという類の発言で気をつけなければならないのは、発言の主の多くがかつての名手というところだろう。

 技術的に最高レベルに到達した選手に時代性はあまり関係がない。彼らにとって、現代のスピーディでフィジカルに傾いたサッカーは拙速に見えるのだろう。「どうしてそのプレーになる?」と感じるようなことが多々あって、たぶん見ていてストレスを感じてしまうのではないか。

 プレーメーカーが絶滅したわけではなく、ペドリがいてヴィティーニャもいるが、確かに数は減った。少なくとも1970年代までは技巧とアイデアに優れ、ブラジル代表クラスとは言えないまでも、ザガロの言う「どうプレーすべきか知っている」タイプがチームにひとりくらいはいたものだったのだ。

 しかし、かつての名プレーメーカーも現代ではプレーできない。ペドリと似ていて1960年代に「超頭脳」と呼ばれたジャンニ・リベラでも到底無理だろう。いくらうまくても、フィジカル面で条件を満たしていなければプレー機会は与えられないからだ。そこをクリアしたうえでのペドリなのだ。逆に昔はフィジカル面では全然及ばないながら、ペドリと似たタイプの選手はいろいろなチームで見られた。

 極論すれば現代サッカーはファンタジーを求めていない。それよりも優先すべきことがあり、「どうプレーすべきか」を知っているかどうかもほぼ問われない。平均的な技術水準は上がっているが、それ以上にフィジカル能力が上がっているのでそうは見えない。そうやってサッカーは進化してきた。

 ただ、ペドリを見ていると本当にこの進化の仕方でよかったのだろうかと、考えさせられる時もある。

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著者プロフィール

  • 西部謙司

    西部謙司 (にしべ・けんじ)

    1962年、東京生まれ。サッカー専門誌「ストライカー」の編集記者を経て2002年からフリーランスに。「戦術リストランテ」「Jリーグ新戦術レポート」などシリーズ化している著作のほか、「サッカー 止める蹴る解剖図鑑」(風間八宏著)などの構成も手掛ける。ジェフユナイテッド千葉を追った「犬の生活」、「Jリーグ戦術ラボ」のWEB連載を継続中。

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