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エリック・カントナという「劇薬」に誰もが心酔 実働わずか4年半でトラブルメーカーはマンUの王様となった (3ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【カンフーキックを誰も責めなかった】

 好事魔多しの例えどおり、1995年1月、カンフーキック事件が勃発する。観客のマシュー・シモンズに口汚く罵られたカントナは強烈な飛び蹴りを浴びせ、さらに殴りかかった。

 許しがたい暴力行為である。プレミアリーグが科した8カ月間の出場停止処分は妥当、あるいは「軽すぎる」との批判もあった。コンプライアンスが厳重になった現在なら、より長期間のペナルティを科されていた公算が大きい。

 ただ、マンチェスター・Uの関係者は誰ひとりとして責めなかった。サー・アレックスはもちろん、コーチングスタッフ、メディカルチーム、選手が、カントナに畏敬の念を抱いていたからに違いない。

「監督は怒らなかったんだ。エリック、本当のおまえさんはあんなことする男じゃないよな、MY SON......ってね」

 1990年代のマンチェスター・Uで主力を務めたMFリー・シャープの証言からも、サー・アレックスがカントナに深い愛情を注いでいたことがよくわかる。

 なお、「監督が何を言おうが関係ない。興味もない」とまでうそぶいていたカントナも、サー・アレックスだけは別格だ。今でも「ボス」と呼び、ふたりの良好な関係は長く続いている。

 また、ベッカムからも感謝の声が届いている。

「エリックと時間を共有できたからこそ、プレミアリーグやFAカップも手に入れた。私の人生は幸せだね」

 カンフーキック事件で出場停止処分になった時、カントナのトレーニングパートナーを務めていたのがベッカムである。ふたりの友情は不変だ。

 カントナが退団したあと、マンチェスター・Uに強烈な個性を持つ選手は現れていない。ウェイン・ルーニーやクリスティアーノ・ロナウドはより多くのタイトルをもたらしたが、チーム全体が畏敬の念を抱くようなタイプではなかった。エースの証である「背番号7」も、近ごろは薄っぺらい。

 ヒールよりベビーフェイスが、中途半端でも平均的にいい子ちゃんが望まれる情けない世の中に「突出した個性」は無用の長物だ。組織を築くうえで害とされる。

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