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初瀬亮はなぜ今、神戸を離れて海を渡る決断をしたのか「正式にサインを終えたあと、涙がボロボロとあふれて...」 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 プロに憧れを抱き、Jクラブのアカデミーでプレーすることを目指した時も、父の「行きたいチームをひとつ選べ。そこがダメだったら、Jクラブはあきらめて地元のクラブチームでプレーしろ」というアドバイスのもと、ガンバジュニアユースに絞って、練習に参加し合格を勝ち取った。また、その際には自宅のある岸和田市から片道2時間もかけて練習に通うことを踏まえ、「サッカーをするなら『だんじり祭り』はあきらめろ」とも伝えられたという。

「岸和田生まれの人間にとって『だんじり祭り』は人生をかけて参加すると言ってもいいほど、大事な行事。地元の人たちはみんな、一年を通していろんな活動、準備をして本番を迎えるし、うちの家族も代々そうやって祭りに関わってきました。

 だから、親父には両方が中途半端になるのはよくないと、『ガンバに行くなら、祭りはナシでいいな』と念を押されました。なので、僕も中学生以降は祭りをあきらめ、サッカーだけに熱を注ぐようになりました」

 とはいえ、ガンバジュニアユース時代は悔しい思いをした時期が長く続いた。同期の市丸瑞希(現FC SONHO 川西)や髙木彰人(現SC相模原)が1年生からAチームに抜擢されたのに対し、初瀬はずっとBチーム止まり。ようやくチャンスをもらったのは、中学2年生の終わりだった。

 また、ユースチームに昇格後も、市丸ら同期5人が1年生からスタメンに抜擢されたのに対し、初瀬はまたしてもBチームからのスタートに。高校2年生になる前の春休みの練習試合で、結果を残したことで、ようやくレギュラーの座をつかみ取った。

「中学生の時は特に悔しい思いばっかりでした。(市丸)瑞希や(髙木)彰人がAチームでプレーするのを見ながらボールボーイをさせられた時は、さすがに心が折れそうになったこともあります。

 でも、親父とは『最後まで絶対に続ける』って約束していたし、何よりBチームの西村崇コーチにはいつも『ホンマに死に物狂いで頑張ったヤツにしかチャンスは来ない。試合に出ているヤツら以上に量をやらないと質は語れないぞ』『腐ったらそこで終わりや』と言われていたので。自分でやると決めた以上、簡単に諦めるわけにはいかないと思っていました」

 2016年にガンバのトップチームに昇格後は、同期のなかでもいち早く公式戦デビューを飾るなど、順調にキャリアのスタートを切った初瀬だったが、監督が交代した2018年は出場機会が激減。その状況に危機感を覚えた彼は2019年、アカデミーから育った思い入れのあるクラブを離れ、ヴィッセル神戸への移籍を決断する。

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