久保建英の今季「通信簿」レアル・ソシエダ番記者の評価は「良」パリ五輪不参加にも言及 (2ページ目)

  • ウナイ・バルベルデ・リコン●取材・文 text by Unai Valverde Ricón

【2024年から不調。常に止まった状態でボールを受けていた】

 シーズン序盤の久保は、凄まじいものがあった。チームが調子を上げることができたのは、彼の尽力によるところが非常に大きい。イマノル・アルグアシル監督は久保に大きな恩恵をもたらすシステムとプレースタイルを確立した。それは、逆サイドに多くの選手を集めたあと素早く右サイドに展開して、久保がアドバンテージとスペースを得て、1対1や2対1の局面を作れるようにするもの。久保はその形から何度も中に切り込み、チャンスを生み出していった。

 その活躍ぶりが評価され、ラ・リーガのMVP候補にまで挙がるほどだった。実際、彼は全7ゴールのうち5ゴールを8月から9月にかけて決め、10月までに3アシストを記録した。イマノルから要求された得点面の仕事に見事に応え、昨シーズンのほぼすべてのインタビューで話していた"自分自身に課したステップアップ"を証明してみせたのだ。

 得点こそなかったが、チャンピオンズリーグのパフォーマンスも実にポジティブなものだった。ボールを受けるたびに相手DFをパニックに陥れた。ドリブルで容易に相手をかわし、ゴールにつながるパスを出し、シュートを打つたびに致命傷を負わせていた。

 しかし、年明けのアジアカップ参加で大きな問題が発生する。勢いに乗っていた時期に重要な大会が重なってしまったのは本当に残念だ。

 自国の代表であることを誇りに思いながらも、シーズン途中でクラブを抜けるのに躊躇いを感じていた久保が日本代表に合流してから、ラ・レアル(レアル・ソシエダの愛称)は徐々に低迷していった。そして久保自身も、日本がアジアカップで優勝できず、失意と疲労を感じながらチームに戻ってきたあと、調子を崩した。

 輝きが失われ、走りながらボールをもらうことがなくなり、常に止まった状態でボールを受けていた。これでは当然、相手を突破するのに苦労し、チャンスメイクもゴールも難しくなった。事実、2024年に入ってからのゴールはわずか1点のみ、しかもそれは3カ月以上前の2月18日のマジョルカ戦のことだった。奇しくもその月は、クラブが2029年まで契約延長し、彼に対する信頼を最大限に示した時だ。

 久保の調子はその後も上向かず、チームも大いに疲弊し、突破力もスピードもなくなっていた。イマノルはこの状況を打破するため、強靭なフィジカルを生かし、パフォーマンスを大幅に向上させていたシェラルド・ベッカーをスタメンに抜擢する。この選手起用が的中し、久保はシーズン終盤、これまで安泰だったレギュラーの座を失うことになったのだった。

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