旗手怜央が語るアジアカップ途中離脱の悔しさ 大会後のさまざまな意見は「出るほうが健全だと思う」 (3ページ目)
【ケガを無駄にするか、有益にするかは自分次第】
自分に話題を戻せば、今シーズンに入って3度目のケガ、しかも箇所は違うが、同様のケガを繰り返したショックは大きかった。
アジアカップが終わり、スコットランドに戻ってからも、しばらく心は沈んでいた。
昨年10月25日、UEFAチャンピオンズリーグのアトレティコ・マドリード戦で負傷した時は、その瞬間こそ落胆したものの、すぐに気持ちを立て直した。
「ケガを治して、絶対にアジアカップに出てやる」と。
復帰に向けて、明確な目標を立てることで前向きになれたのだ。しかし、今回はその目標でもあった大会でケガを繰り返してしまった現実に、気持ちを切り替えるのが難しかった。また、自分の感じるまま気持ちや感情を受け入れたため、落ち込む時間も長かった。
だからと言って、決してリハビリで手を抜いたわけでもないし、日ごろの生活を疎かにしていたわけでもない。すべてにベストは尽くしていたが、簡単に言えば、やる気だけが出なかったし、気力が湧いてこなかった。
でも、そんな自分にも家族をはじめ、気にしてくれる人、心配してくれる人がいる。父親はケガの状態を、母親も様子を気にしてくれ、連絡をくれたこともきっかけになり、自然と前向きになっていった。
無理に気持ちを制御したり、保ったりしようとせず、ときには流れや気持ちに身を任せるのもひとつだと思った。
誰しも人生において、すべてがうまくいく人は、まずいないだろう。生きていれば、自分にとって遠回りに思えていたことが、実は近道だったりすることは往々にある。経験してなくてもいいと思っていたことが、のちに経験しておいてよかったと感じることもある。
ケガも同様で、それを無駄と思うか、その時間すら有益にするかは、自分の考え方、自分の捉え方次第ということを実感した。
そして、復帰に向けたリハビリ期間中には、試合に向けた準備、身体の強度、トレーニング内容、食事と、見直せるところはすべて見直して、今まで取り組んできた。
セルティックでは、今季ここまでリーグ戦8試合に出場して2得点。ケガを繰り返したこともあり、チームに貢献できずにいる。
個人的にも、ひとつでも多くタイトルを獲りたいと思っているし、セルティックのファン・サポーターには、再び「セルティックには旗手怜央が必要だ」と思ってもらえるプレーを見せたいと思っている。
著者プロフィール
旗手怜央 (はたて・れお)
1997年11月21日生まれ。三重県鈴鹿市出身。静岡学園高校、順天堂大学を経て、2020年に川崎フロンターレ入り。FWから中盤、サイドバックも務めるなど幅広い活躍でチームのリーグ2連覇に貢献。2021年シーズンはJリーグベストイレブンに選ばれた。またU-24日本代表として東京オリンピックにも出場。2022年3月のカタールW杯アジア最終予選ベトナム戦で、A代表デビューも果たした。2022年1月より、活躍の場をスコットランドのセルティックに移して奮闘中。
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