旗手怜央が語るアジアカップ途中離脱の悔しさ 大会後のさまざまな意見は「出るほうが健全だと思う」
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1月のアジアカップはラウンド16のバーレーン戦でのケガで、悔しさを味わった旗手怜央。大会後はさまざまな意見を耳にし、目にしたが、「いろんな意見があれば解決の方法も無数ある」と考えているという。
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【申し訳なさと悔しさが残った】
AFCアジアカップ準々決勝で日本が1-2でイランに敗れた時、スタンドにいた自分が感じたのは、自分の非力さとチームの力になれなかった悔しさだった。
遡ること4日前、1月31日に行なわれたラウンド16のバーレーン戦で足を痛めた自分は、35分に途中交代した。
ピッチを退く時に思ったのは、チーム、チームメートへの申し訳なさだった。大会が決勝トーナメントに突入した時に、自分がケガをしてチームを離脱する。前半で途中交代せざるを得なかった状況と、組織としてより団結を深め、さらに勢いに乗っていこうとしているタイミングで、戦力が欠けることへの申し訳なさだった。
同時に自分自身を振り返り、こうも思った。
「なんで、このタイミングなんだろう......」
今、思えばだが、バーレーン戦はどこか違和感があった。あくまで後づけだし、感覚的なものでしかないが、プレーしていてもいつもと少し違う感覚があった。
今日は、パスのフィーリングがいつもと少し違うな。
今日は、いつもより少し周りが見えていないかもしれないな。
距離で示せば、ほんの1センチ、2センチ、音量で言えば目盛はひとつかふたつくらいしか変わらない誤差だが、確かな違いを感じていた。
コンディションは試合によって異なるため、それが直接、ケガにつながる要因だったとは思っていない。だが、得てしてアクシデントが起きる時は、そうした何かが重なるものなのだろう。
バーレーン戦で負傷した自分は、ケガの状態を見て、準々決勝のイラン戦を終えてスコットランドに帰国する予定だった。そのため、スタンドで日本が負ける姿を目の当たりにした。
その時に思ったのは、自分がピッチに立って、その敗戦を受け入れる機会を得られなかった悔しさだった。
少なからずメンバー入りしたみんなは、ピッチで負けた悔しさや、自分が何もできなかった思いなど、現実を直視してあの敗戦を感じることができたと思う。でも、僕はみんなの頑張りを見届けることしかできず、何かを感じたくても感じられない、悔しがりたくても悔しがれない、その苦しさがあった。
そしてアジアカップを戦うメンバーに選ばれた時に誓った「このチームのために何かをしたい」という思いを実行することも、示すこともできなかった。
また、イラン戦での敗退を受けて、選手たちがさまざまな意見を述べ、考えを示していた。チームメートとのディスカッションに加わることはできたが、公の場で自分が日本代表への思いや熱量を伝えられる状況になかった現実に、より悔しさが募った。
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著者プロフィール
旗手怜央 (はたて・れお)
1997年11月21日生まれ。三重県鈴鹿市出身。静岡学園高校、順天堂大学を経て、2020年に川崎フロンターレ入り。FWから中盤、サイドバックも務めるなど幅広い活躍でチームのリーグ2連覇に貢献。2021年シーズンはJリーグベストイレブンに選ばれた。またU-24日本代表として東京オリンピックにも出場。2022年3月のカタールW杯アジア最終予選ベトナム戦で、A代表デビューも果たした。2022年1月より、活躍の場をスコットランドのセルティックに移して奮闘中。