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戦術がジャマだった銀河系軍団。レアルにデル・ボスケの凡人ぶりは必要だった (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 たまたまスーパーチームの絶頂期に居合わせた幸運な監督というのが、当時の評価だったのではないか。もちろん、そんなはずはないのだが、まさにそうとしか見えないところが、デル・ボスケの面白いところだ。

 そうは見えないが、デル・ボスケはレアル・マドリ―のスター選手だった。長身のプレーメーカーで、動きはもっさりしていたがテクニックがあり、安定感のあるMFだった。

 引退後はレアルの育成チームを担当、実質Bチームのレアル・マドリード・カスティージャで指揮を執ったことはあるが、育成のスペシャリストと見られていた。93年にトップチームのベニート・フローロ監督(スペイン)が解任されたあと、暫定監督を4カ月 務めた。96年にもホルヘ・バルダーノ監督(アルゼンチン) が解任されて、1試合だけ指揮を執っている。

 99年11月にはジョン・トシャック監督(ウェールズ)が解任され、デル・ボスケは3度目の監督就任。しかしこの時はCLに優勝して続投となり、その後4年間レアルを率いることになった。

 レアルの監督としてのデル・ボスケの印象といえば、テクニカルエリアに出てきたまではいいが、とくに何もせず小首をかしげて佇んでいる巨体のイメージでしかなかった。練習場でも絢爛豪華なスターたちが、輪になってパス回しに興じているところから少し離れて、コーチ陣と並んで佇んでいた。見た目、ほぼ何もしていなかった。

 銀河系レアルの絶頂期、GKにはデル・ボスケが育成で携わったイケル・カシージャス(スペイン)がいて、フェルナンド・イエロ(スペイン)が守備の重鎮だった。左SBは攻撃型のロベルト・カルロス、攻撃陣はジダン、フィーゴ、ラウール・ゴンサレス(スペイン)、ロナウドがずらりと居並ぶ壮観である。圧倒的な個人技を重ね合わせていくパッチワーク。戦術的な匂いはほとんどない。

<スーパースターを全部使って勝つ>

「戦術を重視する人物にしたい」

 2002-03シーズンのリーガを制したあと、フロレンティーノ・ペレス会長はデル・ボスケとの契約を延長しなかった。その時に言っていたもっともらしい理由が「戦術重視」である。たしかにデル・ボスケには戦術が「ない」ように見えた。しかし、現場の意向などお構いなしにスター・コレクションをつづけてきた会長が、よくぬけぬけと言ったものだ。

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