塩谷司を変えた母親と恩師の言葉
「あの日から、あきらめなくなった」 (4ページ目)
完全に人のせいにしていたんですよね。試合に起用してもらえない理由を、自分ではなく、外部にあると決めつけていたんです。今、思うと、自分が指導者だったとしたら、当時の自分は100%使わないと思います」
自身がそう言い切るほどの状態だったわけだ。
幸いトップチームから落とされることはなかったが、覇気のない生活は続いていた。正月に帰省した時には、後ろめたさから家にいることが窮屈になり、すぐに友人と遊びに出掛けた。サッカーの話題に触れられるのが怖かったのだ。
そんな塩谷にとって大学3年の時、人生を変える大きな出来事が起こる。父親の死だった。
「大学3年の夏前に父親が急死したんです。弟たちには高校も卒業させてあげたかったし、大学にも行かせてあげたいって思った。将来、何になりたいって言うかはわからなかったけど、徳島に帰って働いたほうがいいだろうなって思ったんです。
大学では試合にも出ていないし、練習もきついだけだし、そんなんだったら、一番下の弟が働き出すまでは、自分が家族のことを支えたほうがいいかなって。父親が亡くなった時は、本気でそう思ったんです」
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