本田圭佑をキープレーヤーに。ボタフォゴ新監督がクラブに要求した条件 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳translation by Tonegawa Akiko

 アウトゥオリが監督を始めたのはブラジルの小さなチームだったが、ポルトガルのビトーリア、マリティモなどを経て、1995年、初めて率いたブラジルのビッグチームがボタフォゴだった。そしてその年、すぐにチームをブラジル全国チャンピオンに導く。その後、ポルトガルのベンフィカを経て、再びブラジルに戻ると、クルゼイロを率いて南米で一番重要なタイトル、リベルタドーレス杯を勝ち取る。1997年には、アウトゥオリはブラジルでもトップレベルの監督の仲間入りをしていた。

 その後の彼のキャリアも興味深い。ペルーのスポルティング・クリスタルを指揮し、2002年にはペルー代表監督に抜擢される。2005年にはサンパウロの監督として横浜でリバプールと対戦し、クラブW杯を制した。そんな彼の活躍に目を付けたのがジーコだった。ジーコは彼が鹿島アントラーズの監督にふさわしいと判断し、2006シーズンにはJリーグの監督となった。

 しかし、そのあたりからアウトゥオリの迷走が始まる。タイトルとは無縁となり、次々と指揮するチームが変わった。クルゼイロ、カタールのアル・ラーヤン、カタール代表、バスコ・ダ・ガマ、そして日本に戻ってセレッソ大阪......。ブルガリアのルドゴレツを率いた頃から、アウトゥオリはベンチからではなく、別の形でチームを率いることを考え始めた。その後コロンビアのアトレティコ・ナシオナルでの不運なシーズンを経て、アウトゥオリはついに夢を実現した。サントスのチームディレクターに就任したのである。

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