モドリッチが述懐。クロアチア快進撃の
きっかけとなった「監督の言葉」 (4ページ目)
その翌日には、それぞれの故郷に帰った選手たちを迎えて、今度はクロアチア各地がお祭り騒ぎとなった。特にスプリトは、5人のハイデゥク・スプリト出身の選手がいたため、騒ぎは一番大きかった。
W杯の期間中、クロアチアはまるで夢の中にいるように、誰もが代表チームに熱狂していた。教会の司祭は、ミサのときにクロアチアの勝利を願う文句を入れることを忘れず、試合の時間はほとんどの店が閉店した。オフィスも仕事は中断、3万人以上のサポーターがロシアにまで押し寄せた。建国以来、これほどまで国中がひとつとなって盛り上がったことはなかった。
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