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内田篤人とシャルケ、相思相愛の7年間。
退団セレモニーは盛大だった (3ページ目)

  • 了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko photo by AFLO

「頑張ればいいだけだから。ああいう監督、嫌いじゃないよ」

 この年、最終的にマガトは解任されることになるが、それでもチャンピオンズリーグ(CL)で準決勝に進出。内田はそのマンチェスター・ユナイテッド戦に2試合ともフル出場している。

「毎日、歯磨きをするようにサッカーのことを考えていて、楽しかった」と、内田は当時のフレッシュな喜びを表現している。フレッシュといえば、欧州サッカーについて驚くほど詳しくないことも、明らかになった。「左利きの、あのギグスっていう選手はさあ(ライアン・ギグスのこと)」とか「マンUに同じ顔のやついない?(ファビオとラファエウの兄弟こと)」とか、本気とも冗談つかないコメント満載だった。

 このシーズンは在籍7年間で唯一のタイトルとなったドイツ杯も獲得。"セニョール"ラウルとGKマヌエル・ノイアーを軸に、クラース・ヤン・フンテラールがいて、若きユリアン・ドラクスラーやヘヴェデスがいて、右SBの内田の前にはジェフェルソン・ファルファンがいた。内田にとっても近年のシャルケにとっても、もっともいいシーズンだった。

 2011~12にシーズンに入ると、内田を取り巻く様子は少し違ってきた。ラルフ・ラングニック監督のもと、シーズン序盤、内田の出番は少々減った。過労を考慮されてのスロースタートだったが、「給料泥棒って言われないように」とギアを入れようとした矢先、右太ももの肉離れを起こした。チームは不調に陥ってラングニックは解任。臨時監督を挟んで今度はフーブ・ステフェンスを招聘した。

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