PSGのGMがスポーツビジネスに新風を巻き起こすまで (5ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 卒業するとき、教授たちがブランに言った。「成功にも、いろいろな形がある。きみが本当にやりたいことは何なのか」。もちろん、ブランは明確な計画を持っていた。「ハーバードでMBAを取った人は、あまりスポーツの世界には進まない。実際、私はそういう人に会ったことがない。しかしスポーツの仕事をするという私の決意は、揺らぎようがなかった」

 1994年にブランは、フランスのスポーツマネージメント会社アマウリー・スポーツに入り、CEO(最高経営責任者)となる。2001年にはフランス・テニス協会に移り、やはりCEOを務めた。

 そして2006年、ユベントスがブランをCEOに迎える。イタリアの名門フットボールクラブは八百長スキャンダルの末、セリエBに降格していた。

「そんなタイミングだったから、わくわくするような日々ではない。おびただしい仕事を一気に片づけなくてはならなかった」と、ブランは言う。「100日間でクラブの未来が決まる。その100日間に誤った判断をしたら(ここで彼は手をパンと叩く)、もうおしまいだ。復活するには20年かかってしまう。だが、その100日間に私たちは多くのいい判断をすることができた」
(続く)

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