【スペイン】メッシがバロンドールを獲得できた最大の要因、「マシア・メソッド」とは!? (2ページ目)
天賦の才がメッシにあることは、プレイを見れば一目瞭然であり、それを否定する者はどこにもいないだろう。だが、才能に溺れ、努力を忘れた者、怠った者、開花したもののすぐに散ってしまった者もいる......。サッカー界のみならず、スポーツの世界ではそういった悲しい現実は枚挙に暇がない。
グアルディオラが監督に就任した当時のメッシも、今と同じ才能あふれる選手だった。だが、その頃、バルサのロッカールームはメッシにとってあまり居心地のいい場所ではなくなってきていた。
メッシのことをかわいがり、メッシ自身も家族同様に慕っていたロナウジーニョとデコの放出をクラブが決定したことは、メッシにとって大きな衝撃だったのだ。
グアルディオラはメッシを説得した。"これはサッカー面では、君にとってはメリットで、これからピッチの主役は完全に君に移行するのだ"と。それを形として見せるため、クラブ側は年俸を上げ、ピッチ上でメッシの制約を減らし、自由度を増やすことを約束した。
だが、それには条件があった。メッシがトップチームに上がったのは16歳の時だが、そのころから負傷がちで、一回もケガをしないでシーズンを終えるということがまずなかった。バルセロナのユース施設、マシアでは、プロとしての食生活と規律正しい生活が徹底的に教え込まれるが、ユースにいた頃はマシアで食事していたメッシも、トップチームに上がってからは、野菜や果物をほとんど食べず、アサード(アルゼンチン流の焼肉)を中心にした食生活へと変わってしまっていた。
そこでグアルディオラは、まだ19歳だったメッシに食生活の重要性を説き、それを口で言うだけでなく、自らもその改善に手を貸したのだ。
午前の練習が終わると、各自、自由に帰宅してランチをとる習慣だったが、グアルディオラはまずそこから変えた。練習場にランチビュッフェを用意し、練習を終えてお腹をすかせた選手達がカフェテリアに立ち寄れば、そこにランチがあるシステムを作った。
メニューはスポーツ選手用に考えられたものばかり。自分で頭を悩ますこともなく、そこにあるものをとって食べるだけでバランスのとれた食事ができる「マシア・メソッド」だ。
こうして選手達の意識改革を促しながら、食生活を改善する工夫を行なった結果、今ではチームメートが会話しながら手早く食事をし、それから帰途につくのがすっかり習慣化した。メッシの好き嫌いも大きく改善された。
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