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横浜フリューゲルスでの日々を振り返るセザール・サンパイオ「僕らが築いた友情は永遠のもの」

  • 藤原清美●取材・文 text by Kiyomi Fujiwara

セザール・サンパイオ ロングインタビュー/第1回(全4回)

 1995年に横浜フリューゲルスに加入し、黎明期のJリーグで4シーズンにわたってワールドクラスのパフォーマンスを披露したセザール・サンパイオ。同クラブ在籍中の1998年に開催されたフランス・ワールドカップではブラジル代表の主軸を担い、準優勝に貢献した。

 2002年から再び日本に活躍の場を移し、柏レイソルとサンフレッチェ広島でプレー。2004年にサンパウロで現役を退いたあと、解説者やクラブ経営者、ブラジル代表のアシスタントコーチなどを歴任し、常に最前線でサッカーに貢献してきた。そんなレジェンドとのインタビュー第1回では、横浜フリューゲルスでの記憶を語ってもらった。

1998年11月、横浜フリューゲルスの吸収合併が報じられたあとのホームでのラストゲームで、涙を浮かべながらファンに語りかけるセザール・サンパイオ photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images1998年11月、横浜フリューゲルスの吸収合併が報じられたあとのホームでのラストゲームで、涙を浮かべながらファンに語りかけるセザール・サンパイオ photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images

【プロ化の初期段階に手を貸す仕事に興味を持った】

──あなたが横浜フリューゲルスに加入した時、ジーニョ、エバイールとともに、パルメイラスの3大スターが移籍してくるということで、大きなニュースになりました。当時、なぜ日本でプレーしようとしたのですか?

「正直に言うと、僕はあまり日本のことを知らなかった。ただ、フリューゲルスの強化部長の言葉が心に響いたんだ。競技の面だけでなく、プロ意識というものを、チームメイトとして日本人に伝えてくれる選手を必要としているんだと、彼は言った。サッカーのプロ化の初期段階に手を貸すという、想像もしなかった仕事に興味を持ったわけだね。しかも、いい条件を提示してもらった。そうしたフリューゲルスの姿勢にすごく好感を持ったんだ」

──実際に行ってみて、チームや日本サッカーの印象はどうでしたか?

「ジーコがテレビで、フリューゲルスは1995年のJリーグの優勝候補のひとつだと言っていた。チームには山口(素弘)、森(敦彦)、三浦(淳宏)、前田(治)といった日本代表選手たちがいて、そこに僕とジーニョ、エバイールというブラジル代表選手が加わったわけだから。

 ところが、1年目は14チーム中13位だった。当時は監督が日本人の木村(文治)さんで、アシスタントコーチがドイツ人のゲルト(・エンゲルス)、そして外国籍選手は僕らブラジル人。それぞれは優秀でも、噛み合うのが難しかったと感じたよ。僕自身もスピーディな日本サッカーに適応する期間が必要だった」

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