横浜フリューゲルスでの日々を振り返るセザール・サンパイオ「僕らが築いた友情は永遠のもの」 (3ページ目)
【4年間、とても幸せな日々を過ごした】
──そうやって臨んだのが天皇杯だったんですね。
「経営側はJリーグ最終節でクラブの活動を終える意向だったけど、僕ら選手が戦うべきだと決めたんだ。ただ、天皇杯は試合に負けたら、そこで終わり。だから、試合のたびに『もしこの試合に負けたら、フリューゲルスは消滅だ。だけど、みんなでここまで一緒にプレーできてよかった』と話した。感情が高ぶったよ。波戸(康広)や瀬戸(春樹)、楢﨑(正剛)のような若手は泣いていたよ。
同時に、だからこそみんなで勝つことだけを考えて全力を注ごう、と。そうやって僕らはさらに闘争心を高め、チームに献身した。サポーターは僕らと一体となり、エネルギーを送ってくれた。そして、準々決勝で鹿島アントラーズを破り、準決勝でジュビロ磐田に勝った。
清水エスパルスとの決勝は、チーム全員の人生を賭けた試合だった。その先もプロ選手として生きていけるかがかかっていたんだ。その試合に2ー1で勝利。優勝の瞬間、みんなで泣いた。タイトル獲得の歓喜と、最後の試合が終わったことへの悲しみ。忘れることのない記憶だ。僕らはひとつの目的のために結束した。フリューゲルスのために戦った多くの人たちのために、大事なものを残すんだと誓い合って。僕自身、あんなに強く結束されたチームでプレーしたことはほかにない」
──こうして思い出すだけで、さまざまな感情が蘇りますね。
「みんなで署名活動をするために、新横浜の駅に行ったんだ。電車から降りてきた人たちに『フリューゲルスを終わらせないために署名をお願いします』と呼びかけて。それをサポーターも一緒にやってくれてね。僕らとサポーターは多くの瞬間をともに過ごし、あの衝撃的な時に、クラブがいかに愛されているのかをあらためて感じさせてくれた。
たった1日で2000人の署名が集まったんだよ。全国では62万人も。僕らはそれをまとめて、会長に渡したんだ。会長にはどうすることもできなかったけどね。でも、僕らが築いた友情は、永遠のものとなった」
──横浜フリューゲルスでの経験は、その後の人生にどんな影響がありましたか?
「フリューゲルスでの経験により、『困難とは自分が作ってしまうものだ』ということを知った。山が高すぎて越えられないと思えば、ずっとそこにいるだけのこと。だけど、自分に強い意志があれば、困難は挑戦に変わる。あの天皇杯優勝を経験し、そう思えるようになったんだ。
だから、こう断言できる。僕の経歴のすべてを通しても、フリューゲルスでプレーしたことは、最も大事な記憶のひとつだと。4年間、とても幸せな日々を過ごしたからね」
(つづく)
第2回を読む >>> 「仲間が問題を抱えていれば、一緒に解決しようとした」 柏と広島でも困難を乗り越えたセザール・サンパイオ
セザール・サンパイオ Carlos César Sampaio Campos
1968年3月31日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。現役時代は万能型のボランチとして活躍し、サントス、パルメイラスというブラジルの名門を経て、1995年に横浜フリューゲルスに加入した。同クラブ在籍中、1998年ワールドカップにブラジル代表のレギュラーとして出場し、準優勝に貢献。2002年に柏レイソルに入団、翌2003年からはサンフレッチェ広島でもプレーした。引退後はクラブ経営や指導者の職務を歴任し、大学で経営学なども学んでいる。
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