政治家になった日本代表GK都築龍太が振り返る浦和レッズの思い出 「リーグ優勝もいっさい喜んでいなかった」 (3ページ目)
【1回くらいワールドカップに...】
長年、ポジションを争った山岸とは、ほとんど口を聞くこともなくバチバチなライバル関係だったことは有名だ。
「話すことはまずなかったですね。振り返れば、僕が出たシーズンもギシが出たシーズンもありましたが、切磋琢磨しながらやれたことはよかったとは思いますけど。もちろん、試合に出られなくて腹を立てたこともありましたし、僕が移籍してくるまではギシが出ていたわけで、ギシのほうが(僕の存在を)邪魔に感じていたんじゃないですか。実際、そう言っていましたし。それはプロでサッカーやっている以上、当たり前な気がします。僕としては、チームに複数のGKがいて、仲よくしているほうが信じられないですから。
ただ、あとに遺恨を残すような仲の悪さじゃなかったです。引退したあとはギシのことを応援していましたし、ギシがモンテディオ山形に移籍し、ジュビロ磐田とのJ1昇格プレーオフでヘディングシュートを決めた時は、声を出して見ていましたからね」
日本代表には2001年のコンフェデレーションズ杯でデビューすると、その後はイビチャ・オシム監督時代を除き、フィリップ・トルシエ、ジーコ、岡田武史体制下で約10年間、代表でもプレーした都築。だが長く代表に招集されながらも、わずかに6キャップしか刻めなかったことには少し悔いがあるともこぼした。
「招集されたり、招集されなかったりはありましたけどね。代表では、呼ばれた期間は長かったですが、能活さん(川口)と楢崎くん(正剛)の存在が大きく、ふたりを脅かすところまでいけなかった。当時は世論も含めてふたりが絶対的な存在で、自分もどこか呼ばれただけで満足してしまっている部分があったと思います。(試合に出たいと)アピールするのも自分は好きじゃなかったし、そこは自分の弱さでした。
トルシエの時はまだ若くて、『試合に使われないなら行きたくない』とはっきり言って、怒られたこともありました(笑)。いま思えば1回くらいワールドカップに行ってみたかったですけどね」
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