政治家になった日本代表GK都築龍太が振り返る浦和レッズの思い出 「リーグ優勝もいっさい喜んでいなかった」 (2ページ目)
【100%、自分が悪かったです】
都築はガンバ時代の2002年にも、起用法を巡って西野朗監督と対立したことがあった。
プロ4年目の2000年にレギュラーの座を手にした都築は、2002年も開幕からゴールマウスに立ち続けていた。だが、第12節のジュビロ磐田戦で、前半を2-1とリードしながら、後半に4失点を喫し5-4と敗れた。それを機にスタメンを外されたことに納得できなかったのだ。
当時、すでに代表歴もあっただけに、都築にもプライドがあっただろうし、曲がったことを嫌う都築らしいエピソードだったとも言える。
「負けた理由が全部GKのせいになったのが納得できなかった。もちろん、流れを変えるためにGKを代えることがあるのは理解しているんですけどね。西野さんからは『オマエのために外す』みたいなことを言われましたが、そういう遠回しな表現は大嫌いですし、番記者の方には『もう西野さんとサッカーはやりたくない』と書いてくれとまで言ってましたから(苦笑)。結果的には、それでレッズに拾ってもらえました。ただ、いま冷静に振り返ると、100%、自分が悪かったですね」
さいたま市議会議員となって約11年になる都築龍太 photo by Masao Kurihara 浦和時代にはリーグ、リーグカップ、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)、2度の天皇杯優勝など多くのタイトルに恵まれたが、どんなことが印象に残っているのか。
「勝てばうれしいのは当たり前ですが、自分はそういう感情をあまり表に出さないタイプ。ただ、チームが優勝しても自分が出場できなければ、うれしさはありませんでした。だから2006年のリーグ優勝なんて、いっさい喜んでいなかったですから。
2007年のACL優勝も印象的ですが、自分のなかでは2006年の天皇杯優勝がうれしかったのを覚えています。その年、リーグ戦はケガもあったりして、ほとんどギシ(山岸範宏)がスタメンでしたが、天皇杯では最後まで自分がゴールマウスに立ち、連覇することができました。
実はあのシーズン、監督のギド(ブッフバルト)から、僕とギシの『どちらを使うか迷っている』という話を聞かされたことがあって、結果的には(リーグ戦では)ギシが使われることになりました。当時は『結局、使わないなら、そんなこと言うなよ!』と思いましたが、あのとき文句を言わなくてよかったなと思っています(笑)」
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