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【Jリーグ】ジョルジーニョは立ち止まらない人だった 受け継がれる「アントラーズの遺伝子」

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Kei Totsuka

Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第36回】ジョルジーニョ
(鹿島アントラーズ)

 Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。

 第36回はジョルジーニョを取り上げる。鹿島アントラーズに4シーズン在籍して国内3大タイトルをすべて獲得し、自身はJリーグMVP、ベストイレブン、リーグカップMVPに輝いた。ハイキャリアのブラジル人選手が数多くプレーしてきたアントラーズの歴史でも、この男の存在感は特別なものがある。

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ジョルジーニョ/1964年8月17日生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ出身 photo by AFLOジョルジーニョ/1964年8月17日生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 鹿島アントラーズの歴史を語るうえで、ジーコの存在は欠かせない。Jリーグ開幕前夜に前身の住友金属工業蹴球団にやってきた彼は、日本リーグ2部で戦っていたチームにプロフェッショナリズムを植えつけていった。

 ジーコはJリーグ開幕後も選手としてチームを牽引したが、1994年6月を最後にスパイクを脱ぐ。自身の代わりとなるMFとして、現役ブラジル代表のレオナルドを連れてきた。

 翌1995年、ジーコは現役ブラジル代表をもうひとり呼び寄せた。それが、ジョルジーニョである。彼らはフラメンゴでチームメイトだった。

「ジーコからは勝利への執念を示してほしい、と言われました。『チームがファミリーとして戦う土台を作ることはできた。でも、まだ足りないものがある。それが勝利への執念だ、と。一つひとつのプレーを真剣に、あきらめず、結果を求めてボールを追いかけることがまだ足りない、と話していました」

 フラメンゴで全国選手権優勝を勝ち取り、バイエルンではブンデスリーガ制覇の一員となった。そして、1994年のアメリカワールドカップで世界王者となった。ジョルジーニョのキャリアは、勝者の足跡である。

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著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

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