【Jリーグ連載】東京ヴェルディ・アカデミーからなぜ天才が生まれるのか 日本サッカーの常識に一石を投じた育成環境の誕生 (2ページ目)
他の企業チームとは異なり、その名のとおりクラブチームだった読売は、あたかもヨーロッパや南米のクラブのごとく、選手育成のための自前の下部組織を備え、年齢に応じたチームがそれぞれに活動しながらも、優れた選手は飛び級で上のカテゴリーに引き上げられ、より高いレベルでのプレー機会が与えられた。
そんな"準プロクラブ"が生み出したのが、1986年に当時日本リーグでの最年少出場記録を作った天才少年、菊原志郎(現FC今治U-12監督)である。
「読売(の指導)がどうだったかなって振り返ると、あまり教えてくれないんだけど、自然と学べるし、学んじゃう。サッカーは教わるものじゃなくて、見て学べ、見て盗め、という感じでした」
そう語る菊原は、高校1年生だった16歳にして日本リーグにデビュー。大人たちに混じって当たり前にプレーする高校生は、読売という特別な環境だからこそ育まれた、特別なタレントだった。
菊原は読売のプレー環境について、こう語る。
「どっちかって言うと、(教えるというより)"お題を出す"みたいな感じです。要は、『いいスルーパスを出せ!』『パスは相手に読まれないように出せ!』って、それしか言ってくれない。だから、子どもたちは一生懸命考えたり、スルーパスのうまい人がどうやって出しているのかを見たりして、工夫しながらいろいろ試すことで、自分のできることが増えていくんです」
当時を振り返る菊原は、「そこには"読売のサッカー"っていうざっくりしたものが、何となくあった」とは言うが、それを具体的、かつ細かく習った覚えはない。
「僕は小学4年生から読売に入ったんですけど、練習場へ行くと、小学生とか、高校生とかが、もういたるところでサッカーをやっている。それを見ていると、『読売ってこんな感じなのかな』っていう雰囲気を肌で感じるんです」
そんな読売ならではの雰囲気を象徴するもののひとつが、強い競争意識だろう。
たとえば、小学生の選手も、大人のコーチも関係なく、みんなが混じってゲームをする。
そこではゲームという形式を採る以上、一応は勝敗を競う。たとえば、先に3点取ったほうが勝ち、といった具合だ。
しかし、「心のなかでは(勝敗は)どっちでもいい。そういうストリートサッカーに近いようななかで、"誰が一番うまいか選手権"をやっているみたいな感じでした」とは、菊原の述懐だ。
2 / 3

