検索

Jリーグ外国人最多得点者はセレソンでない無名FW マルキーニョスが15シーズンも日本で活躍できた理由 (3ページ目)

  • ●取材・文 text by Totsuka Kei
  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【1試合で仙台を去った理由】

 2008年のマルキは32歳。キャリアはピークを迎えているか、緩やかでも下り坂に差しかかっていた──というのは無意識な思い込みだったのだろう。2009年は13点、2010年は11点と、その後もふたケタ得点を稼いだ。世代交代の方針で2010年を最後に、鹿島を離れることになるものの、J1定着を目指すベガルタ仙台からオファーが届く。円熟期を迎えたマルキは、依然として「数字を計算できる」外国人助っ人だったのだ。

 ベガルタの一員として2011年シーズンを迎えたが、3月11日の東日本大震災の発生がマルキのキャリアを変える。「3.11」後も余震がある状況に不安を覚えた婚約者と家族が、ブラジルへの帰国を強く希望したのだった。やむを得ず、本当にやむを得ず、マルキは契約を解除した。

 ベガルタの選手としては、1試合しかプレーできなかった。それでも、当時の手倉森誠監督は「マルキが落とし込んでくれたものは大きい」と話した。日本でプレーすることで磨かれた献身的な守備は、堅守速攻のスタイルに鮮やかにフィットしていた。FW陣のよきモデルとなっていたのだった。

 2012年にF・マリノスに復帰すると、きっちりふたケタ得点をマークした。2013年には最終節まで優勝争いを演じたチームで16得点を記録。その後、2014年にヴィッセル神戸へ移籍。30代後半となってもその得点力は健在で、2シーズンにわたりヴィッセルの攻撃を牽引した。

 ゴール前での勝負強さは、最後まで衰えを感じさせなかった。得意とするパターンを警戒されても、瞬間的に違う答えを見つけ出した。ゴール前での冷静さこそが、万能型とも言われたプレースタイルの裏づけとなった。

 キャリアの最盛期を過ごしたアントラーズ在籍時に、マルキにインタビューをする機会があった。通訳が同席しているが、彼は日本語での質問をほぼ理解していた。

「日本では自分のプレーをそのまま出すことができています。自分の持っている技術と、少しの速さと、日本のプレーのリズムが、うまく合っているんじゃないかなと思います」

3 / 4

キーワード

このページのトップに戻る