検索

Jリーグ外国人最多得点者はセレソンでない無名FW マルキーニョスが15シーズンも日本で活躍できた理由 (2ページ目)

  • ●取材・文 text by Totsuka Kei
  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【2008年には得点王&MVP受賞】

 2004年はジェフユナイテッド市原のユニフォームに袖を通す。韓国代表FW崔龍洙(チェ・ヨンス)に代わる得点源として指揮官イビチャ・オシムの信頼を勝ち取り、9月下旬まで14試合出場で12ゴールを記録する。しかし、左足アキレス腱断裂の大ケガを負ってしまう。直後に治療のためにブラジルへ帰国し、Jリーグでの4シーズン目は幕を閉じた。

 長期離脱を強いられたマルキだったが、翌2005年夏に再びJリーグのピッチに立つ。今度は清水エスパルスの一員として、東京ヴェルディ在籍時と同じシーズン途中の加入である。

 チームはJ1残留争いに巻き込まれつつあった。新加入選手のマルキにも、時間的余裕はない。高強度の試合から遠ざかっていたのは承知でも、ピッチに立ったその試合から結果を求められた。

 ここでマルキが、鮮明なる解答を出す。8月下旬のデビューから14試合出場でチームトップタイの9ゴールをもたらすのだ。しかも、得点した7試合の成績は5勝1分1敗である。J1残留圏ギリギリの15位でエスパルスがフィニッシュできたのは、マルキがいたからといっても過言ではなかっただろう。

 外国人アタッカーに求められるのは、得点やアシストである。数字こそが重要な評価基準となるが、マルキは加入からすぐに結果を残し続けた。新しい環境に素早くフィットする適応能力こそが、この男の最大の魅力にして真骨頂だったのだろう。

 そう考えると、2007年からの鹿島アントラーズでの成功は納得できるものがある。すでにJリーグで6シーズン戦っており、Jリーグと日本サッカーを十分に体感していた。鹿島にはラストパスの出し手がいて、マークを分散してくれる日本人アタッカーもいた。そして、勝者のメンタリティが息づいている。マルキが活躍する要因は、行列を成していたと言ってもいい。

 そのなかで確実に数字を残し、2007年から2009年のリーグ3連覇を後押しした。2008年にはキャリアハイの21ゴールを記録し、自身初の得点王を射止めた。リーグMVPとベストイレブンにも輝いている。

2 / 4

キーワード

このページのトップに戻る