清武弘嗣が感じていた日本代表への中毒性 「絶対無理」と言っていた海外への移籍を決断した真相にも迫る (4ページ目)
ナスリといえば、ボールコントロールとハードワークに秀でたフランス代表選手だ。マンチェスター・シティ時代は2度のプレミアリーグ制覇にも貢献するなど実績も申し分なく、かつては「ジダン二世」と評された時期もあった。
そのナスリが同じポジションを争うライバルになるとなれば、心中は穏やかではなかったはずだ。それでも「競争はどこにでもあること。自分がそれに勝てばいいだけ」と腹を括ってチームに戻ったというが、清武にとって、事態はどんどん悪化の一途を辿った。
「戻ってすぐは、確か1試合だけ先発したんですけど、以降はまったく見向きもされなくなり、一気に序列が落ちていってメンバーにも入れなくなったんです。挙げ句、忘れもしない冬の移籍ウインドウが閉まる最終日に、『新しい選手を登録したいから出て行ってほしい。契約書にサインしてくれ』とクラブに迫られました。その時はすでに事務所の下で、新たに獲得しようとしている選手が待っている状況でした。
でも、結局は実力の世界なので。悔しさはあったけど、簡単に言うと、僕が勝負に負けた、クラブに求められるほどのパフォーマンスを出せなかったというだけのこと。もっといい選手になるしかない、と受け入れました」
そうしてセビージャを離れることになった清武のもとには、ブンデスリーガを含めていくつかの海外クラブからオファーが届いたものの、最終的に彼はJリーグ復帰を決断する。ハノーファー時代の2016年にプライベートで思わぬ悲しみに直面して家族が日本に帰国したため、単身生活が続いていたなかで、「これ以上、家族と離れて暮らしたくない」という思いが強くなっていたこと。何より、日本を離れる時から「自分が動けるうちに、セレッソに戻りたい」と思っていたことが理由だ。
当時は27歳。そのタイミングが今だと帰国を決めた。
(つづく)◆清武弘嗣はなぜ、過酷なリハビリに挑み続けるのか 「温かい応援に甘んじず...」>>
清武弘嗣(きよたけ・ひろし)
1989年11月12日生まれ。大分県出身。大分トリニータのアカデミーで育ち、2008年にトップチームに昇格。2010年、セレッソ大阪に完全移籍して才能が開花。2012年にドイツのニュルンベルクに移籍。以降、ハノーファー、スペインのセビージャでもプレー。2017年にセレッソ大阪へ復帰し、2024年にサガン鳥栖へ期限付き移籍したあと、2025年に古巣の大分へ完全移籍。その間、日本代表、五輪代表でも活躍。2012年ロンドン五輪、2014年ブラジルW杯に出場した。国際Aマッチ出場43試合5得点。
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