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清武弘嗣が感じていた日本代表への中毒性 「絶対無理」と言っていた海外への移籍を決断した真相にも迫る (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 その一方で、メンタルのところでは2013-2014シーズンの9月にハセさん(長谷部誠)が加わってくれたので。ハセさん自身はケガで離脱していた期間も長かったため、一緒にプレーする時間は短かったですけど、何年在籍してるの!?って思うくらい仲間からリスペクトされている姿を間近で見られて、そのリーダーシップから学ぶところはたくさんありました」

 しかしながら、環境が成長に与える影響も痛感したのも事実で、清武はニュルンベルクの2部リーグへの降格を受けて、2014-2015シーズンはハノーファーへ移籍。より厳しい環境に身を置くことでの成長を求める。

「もちろん、どんな環境でもまずは自分自身が成長を求めなければいけないのは大前提ですけど、僕の性格的には、もっとやらなきゃ上には上がいるぞと、せき立てられるようなライバルがいる環境でプレーするほうがより頑張れると思い、移籍を決めました。

 実際、ハノーファーにはラース・シュティンドルという絶対的エースがいたので、移籍初年度は途中出場がほとんどでしたけど、その環境で『うわぁ、足りてねー』と思いながら自分を鍛えられた。だから、翌2015-2016シーズンはチームの中心でプレーできたんだと思っています」

 ところがその後、さらなるステップアップを目指した2016-2017シーズンの、スペインのセビージャへの移籍は、順風満帆なスタートを切ったのも束の間、思わぬ形で幕を閉じる。UEFAスーパーカップのレアル・マドリード戦に先発したのを機に、リーガ・エスパニョーラの開幕戦、エスパニョール戦にも先発し1得点1アシストと上々のスタートを切ったあとのことだ。第2節のビジャレアル戦を戦い終えて、日本代表の活動に参加してチームに戻ると、驚きの状況が待ち受けていた。

「当時は本田さん、長友くん、岡ちゃんなど、日本人選手が相次いでビッグクラブに移籍していたタイミングだったのもあって、自分もそろそろ次のステップにいくタイミングかなと思って決断したセビージャへの移籍でした。ハノーファーであらためて競争力の高いチームに身を置く必要性を実感し、自分の欲がより膨らんでいたのもあります。

 そのなかでカップ戦を含めていい入りはできたんですけど、第2節のビジャレアル戦は正直、あまりいいパフォーマンスができなくて60分くらいで交代になったんです。その試合の直後に、インターナショナルウィークに突入したので、僕も日本代表の活動に合流しました。そうしたら、そのインターナショナルウィークの最中にセビージャがマンチェスター・シティからサミル・ナスリを獲得したんです」

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