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家長昭博には「上にはいけねぇぞ」と咎められた――清武弘嗣にとって干された数カ月が「プロ」としての原点になった (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 それはプロになってからも変わらずで......レベルが上がれば当然、うまくいかないことも増えるから余計にブレーキが効かなくなって、練習でもとにかく周りを削りまくっていたんです。ガムシャラさが間違った方向に出ちゃっていました。

 するとある時、アキちゃん(家長)に『おまえ、そんなんじゃあ、上にはいけねぇぞ』ってズバッと言われたんです。そんなふうに周りの選手から面と向かって咎められたのは初めてで。でもだからこそ、心にズドンと響いたし、それ以降は感情任せにプレーすることがなくなった。

 そうしたら8月くらいから試合に絡めるようになったんですけど、忘れもしないプロ2年目の夏、ポポヴィッチさんが監督に就任されて間もない頃だったと思います。ある試合で先発する予定だったのに、試合当日の午前中、チームで軽く体を動かした時にハムストリングを痛めてしまった。結果、試合にも出られなくなり、ポポヴィッチさんにも『試合に向かう準備ができていないからだ』と怒られました。

 しかも、復帰後も信用を失ったのは明らかで、全然使ってもらえなくなったんです。仮にメンバー入りはしてもほとんど起用されないという日々が2~3カ月は続いたんじゃないかな。あの時はもう、サッカー人生で一番と言ってもいいくらい死に物狂いで練習して......11月頃からようやくコンスタントに先発を任されるようになった。そのふたつの経験がなければ、きっと僕のキャリアは2~3年で終わっていたと思います」

 クラブのJ2降格と財政難を受けて2010年にセレッソ大阪に移籍したことも、プロキャリアにおいては最初の大きな転機だ。当時は人見知りで、井の中の蛙だったこともあり、「特に出る必要がなければ、永遠に大分にいたと思う」と清武。だが、必然的に移籍をせざるを得なくなった状況が彼の才能を一気に開花させた。

「大分時代のアキちゃんや金崎夢生くん(現ヴェルスパ大分)にはいつも、『この人たちには敵わんな』と思っていたし、セレッソに移籍したらそこにはまたしても、アキちゃんをはじめ、(香川)真司くん、乾(貴士)くんらがいて。しかも、翌年には(倉田)秋くん(現ガンバ大阪)も加わってきましたから。代表クラスで、年齢的にも近く、めちゃめちゃうまい彼らのような"追いかける人"がたくさんいる環境でプレーを磨けたことは、自分にとってすごく大きかったです。

 最初こそ試合には出られなかったけど、紅白戦などでのアピールを続けながら『自分もやれる』『俺もこのチームで試合に出たい』という気持ちを膨らませられたことや、夏頃からポジションをつかんだなかで『やれる』という確信を持てたことも、めちゃめちゃ自信になりました」

 レヴィー・クルピ監督が志向する攻撃サッカーのもと、徹底してアシストやゴールという結果にこだわれるようになったのも、その成長に拍車をかけた。

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