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家長昭博には「上にはいけねぇぞ」と咎められた――清武弘嗣にとって干された数カ月が「プロ」としての原点になった (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

「子どもの頃は日本代表になれるなんて思ってもみなかったし、海外でプレーするなんて考えたこともなかった。でも、どうにかして大好きなサッカーがうまくなりたくて、ちょっとでも試合でいいプレーがしたくて、そのためにガムシャラにボールを蹴る毎日が楽しくて、ライバルに刺激を受けながら絶対に負けるもんかと戦い続けていたら、今の自分がいた。

 もちろん、いいことばかりじゃないし、うまくいかないこともたくさんあって、『ああ、日本に帰りてー!』って思うこともあります。試合に出られないと、サッカー選手じゃいられなくなるんじゃないか、って怖くなる日もありますしね。

 でも、ガムシャラの先に"今"があると考えたら、もっと必死に戦って新たな世界を見てみようって気持ちが湧いてくる。それに、変な言い方ですけど、僕の伸びしろはこんなもんじゃないはずだから(笑)。もっとうまくなれるだろ、やれるだろ、って自分を信じているし、そうなれば、もっとサッカーを楽しめるんだろうなってワクワクします」

 あれから月日は流れ、36歳になった今も根底に流れるサッカーへの情熱は変わっていない。そこはかとないサッカー愛も相変わらず、彼のど真ん中で脈打っている。

 でもだからこそ、度重なるケガに心が折れることはないのか、気になった。

「正直、もういいかなって思った瞬間もありました。でも、次の瞬間には『このままやめたくない』って思いが湧いてきて、気づいたらまた、必死にリハビリに向き合っています。

 とはいえ、さすがに近年は長期離脱を強いられるケガが続いたので。仮に、復帰した時に自分が大事にしているプレーの感覚的なところが失われていたら、そのまま引退を考えたと思います。ボールを蹴りながら『このパス、ミスる?』とか『そこが見えないのか』みたいな感覚を覚えたら、『俺もここまでやな』って踏んぎりがついたと思う。

 でもこれまで、どのケガから復帰した時もそう思ったことは一度もないんです。だから『ああ、やっぱ、サッカーって楽しいな~』って気持ちになって、ここからまたうまくなってやる、這い上がってみせるって思っちゃう。だから今も、その瞬間を求めてリハビリを続けています」

 無論、20代前半の頃に比べて、今の自分の体がまったく同じだとは思っていない。プレーに関しても、現代サッカーにおいては足元の技術だけでは勝負できないという自覚もある。ベテランであることを理由に何かが免除される世界ではないということも承知のうえだ。

「走れ、闘え、の現代サッカーでは、スプリント回数や走行距離がすべてデータで示されるので。頭の片隅ではそれがすべてじゃないだろ、とは思いつつ、でも、だからやらないということは絶対にあってはいけないとも思っています。何歳になっても、どんなプレースタイルでも、チームとしてそれを求められるなら、当然、走らなくちゃいけないし、戦わなくちゃいけないし、チャレンジもしなきゃいけない。

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