高校サッカーのヒーローが現役引退して10年 サラリーマン生活に別れを告げた田原豊はいま (3ページ目)
【ストライカーがストライカーを教えていない】
「最近のスクールは、どこも似たような考えを持つ指導者が同じようなことを教えていると聞きます。それだと、まんべんなく選手は育つかもしれませんが、突出した選手は育たない。選手はひとりひとり個性が違うし、僕はそれぞれの個を伸ばすような指導ができたらとの思いがあります。
サッカーはテクニックを競うスポーツじゃない。とくにゴール前では格闘技の要素もあるし、戦いでもある。高校サッカーを取材していた時、よく指導者が『パスが何センチ横にズレた』とか言っているのを聞きましたが、実際の試合でパスがぴったりくることなんてそうないですよ(笑)。僕がスクールをやるなら、そんな細かなことにはこだわらないですね」
日本サッカー界で「ストライカー不在」が長く指摘されている点については、こう続けた。
「ストライカーがストライカーを教えていない。それが一番の問題じゃないですか。点を取る感覚は理屈じゃない。体の使い方、駆け引き、間合いの詰め方。全部、経験でしか教えられないですよ」
鹿児島県霧島市は人口12万人の小さな都市。サッカーが盛んな地域だったとしても、すでに近隣には複数のサッカースクールがあり、新規参入が簡単でないことは理解している。
「僕もやる以上は慈善事業というわけにはいきません。"ストライカー専門"でやるわけにもいかないし、すぐに形になるかもわからない。どうすべきか、じっくり考えていきたい」
現役引退から10年、故郷で新しい暮らしを始めた田原。一方で胸の内には、いまも現役時代のさまざまな思いや記憶が残っているという。
(つづく)
田原豊(たはら・ゆたか)
1982年4月27日生まれ。鹿児島県姶良(あいら)市出身。鹿児島実業高校時代は、恵まれた体格から繰り出す豪快なプレーで超高校級FWと称された。2年時の高校選手権では1学年上の松井大輔との2トップで攻撃をリードし、準優勝に貢献。2001年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)では背番号9を託され、全3試合に出場した。Jリーグでは横浜F・マリノス、京都サンガ(現京都サンガF.C.)、湘南ベルマーレ、横浜FCと渡り歩き、京都で2度、湘南で1度のJ1昇格に貢献。2014年にタイのサムットソンクラームを経て、2015年の鹿児島ユナイテッドでのプレーを最後に引退した。
著者プロフィール
栗原正夫 (くりはら・まさお)
1974年6月11日生まれ、埼玉県出身。大学卒業後、放送、ITメディアでスポーツにかかわり、2006年からフリーランスに。サッカーを中心に国内外のスポーツを取材し、週刊誌やスポーツ誌に寄稿。ワールドカップは1998年、夏季五輪は2004年からすべて現地観戦、取材。メジャーよりマイノリティ、メインストリームよりアンダーグラウンド、表より裏が好み。サッカー・ユーロ、ラグビーワールドカップ、テニス4大大会、NBAファイナル、世界陸上などの取材も多数。
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