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高校サッカーのヒーローが現役引退して10年 サラリーマン生活に別れを告げた田原豊はいま (2ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao

【一般社会のルールに苦労】

「主に高校サッカーの大会や試合などを取材してニュースにするのが仕事でした。サッカーに関われたし、関東圏での取材が多かったですが、現場では現役時代からの知り合いに再会することも多く、仕事自体は楽しかった。それまでの仕事に比べれば自分に合っていたと思います」

 ただ、田原にとってサッカーはプレーするものであり、現場で取材し、パソコンを使って原稿を書くことは想像以上の苦労だったようだ。

「たとえば試合を記事にする場合、過去の戦績とかを事前にリサーチしたりしますよね。他のライターさんは、みんなやっていたと思います。ただ僕は、見習わないといけないと感じつつもできなかった。取材するにしても、高校サッカーは、選手の顔を覚えていないとコメントを取るのも簡単じゃない。難しさはありました」

 現役時代は豪快なプレースタイル同様、長髪に髭を蓄えるなど、ワイルドな風貌も印象的だった。ストライカーとして相手を威圧するためにも、それは必要なことだったが、一般社会のルールは田原にとって少し窮屈だったのかもしれない。

「ボサボサの髪も無精髭も、半分は面倒だったからですけどね。プロの世界はそれでも許されます。でも、一般社会は違うじゃないですか。就職した際、マナー研修というのがありました。その時にお客さんに対応する際の歩き方の講習があり、講師の方に『どっちがお客さんかわからない』と指摘されました。現役時代は意図的にふてぶてしい歩き方をしていたこともありましたが、それが抜けきれていなかったみたいです(笑)」

 今後については模索中だが、「サッカースクールができたら」とも話す。

「先日、日本歴代最高のストライカーと呼ばれた釜本邦茂さんがお亡くなりになりましたけど、日本サッカーはずっと"ストライカー不足、決定力不足"って言われているじゃないですか。僕も現役時代に"釜本2世"なんて言われた時期もありました。もちろん、言われた割にA代表には呼ばれもせず、結果を残せなかった。それでも、僕はずっと世界で戦える自信はありましたし、呼ばれたら結果を出す自信はありました。そういう経験というか感覚を、子どもたちに伝えたい思いはあります」

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