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サッカー日本代表に招集も出場は1試合のみ 山田隆裕が明かすJリーグ草創期の「苦い記憶」 (3ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao

【日本代表を応援はしていたが...】

「代表に行っても、それがプロとしての評価や収入につながらない。逆に出場給や勝利給を逃すだけ――そんな状況で、肩書への憧れもなく、代表で戦う意欲は次第に薄れていきました」

 93年秋の最終予選を前にした日本代表のスペイン遠征にも帯同した山田。だが、その前には代表チームのコーチであり、オフトの右腕だった清雲栄純に代表辞退の意向を伝えていた。

「僕の記憶が正しければ、清雲さんがマリノスの練習に来たことがあって、帰り際に駐車場で呼び止めて『代表を辞退したい』と伝えました。清雲さんの反応は『(最終予選を控えた大事な)この時期に、そんなことを言うな!』とかだったと思います。でも、周りに記者もいましたし、翌日のスポーツ紙には『山田代表辞退!』と書かれていました。

 スペイン遠征のヘレス戦(国際Aマッチにはカウントされない強化試合、1-2の敗戦)で、僕は後半から出場し、代表入り後約1年で初めてピッチに立ちました。もちろん、相手がどれだけ本気だったかわからない部分はあります。でも僕自身、いいプレーができた感触はあったし、マリノスの先輩でもあったGK松永成立さんが『お前、やっぱり(得意の右サイドなら)いいな。自信持ってやれよ』と言ってくれたことは救いでしたね」

 オフト・ジャパンはカタールでの最終予選へ向かう直前、東京でコートジボワール代表とアジア・アフリカ選手権(日本が1-0で勝利)を戦ったが、その時には山田の名前はチームから消えていた。

 代表を辞退したことについては、「若いのに生意気」「ただのわがまま」といった批判もあった。だが、チームに対する気持ちがなかった山田にすれば、当然の選択だったのだろう。

 ちなみに、ドーハで行なわれたワールドカップアジア最終予選は、どんな思いで見ていたのか。

「試合を見たくないとか、そういう気持ちはなかったです。とはいえ、テレビの前にかじりついて見ていたかといえば、そんなこともなかったです。

 もちろん応援はしていました。ずっとチームに帯同させてもらっていましたし、先輩たちが悲願のワールドカップ初出場を目指して戦っていたわけですから。ただ、(2-1とリードし、そのまま勝っていればワールドカップ出場が決まった最終戦のイラク戦の)最後にロスタイムで同点に追いつかれたときは、心のどこかに"ほら見たことか"って思いがあったかもしれないですね(苦笑)」

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