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迷いなくJリーグ入りを決意したジャン・クルード 未知の横浜で今やチームの人気者に (2ページ目)

  • 舩木渉●取材・文 text by Funaki Wataru

【「ものすごく感動的なパフォーマンス」】

「僕はもともとレアル・マドリードとバルセロナが試合をしていても、どちらかを応援するような見方はしない。両チームをフラットに見て、ピッチ上で起こっていることを分析するタイプなんだ。

 そうやってACL決勝の2試合を見ていたから、『これは行くしかない』と直感した。F・マリノスはホームでの第1戦で素晴らしい試合をし、第2戦は非常に厳しい展開になって敗れたけれど、ものすごく感動的なパフォーマンスを見せていた。

 もしこのクラブでプレーできれば、自分を成長させられるだろうと思った。F・マリノスの環境は、どこよりも自分を助けてくれるんじゃないかと思ったんだ。それに家族がどう言おうが、最終的に決めるのは自分。喧嘩をして家族と話さなくなろうが、何があっても苦しむのは自分なので、すぐF・マリノスと契約することに決めた」

 2024年7月、シーズン途中でF・マリノスに加わったジャンは、なかなか出番を得られず苦しんだ。最初の半年間でリーグ戦の出場はわずかに3試合。J1での先発起用は第37節の湘南ベルマーレ戦しかなかった。

 それでもジャンに焦りや不安はなかった。トーゴやUAEとは文化も言葉もまったく異なる土地に来て、適応に時間がかかることは承知の上だった。ジャンは振り返る。

「リーグ戦がほとんど終わろうとしているタイミングで加入して、すぐにプレー時間をもらうのは難しいし、チームのカルチャーを理解する時間も必要だった」

 出場機会を得たら、ピッチ上でチームのために全力を尽くし、日々の生活や練習には次のシーズンに向けて入念に準備するという考えで臨んだ。

 そして迎えた2025年。プレシーズンのキャンプで、当時のスティーブ・ホーランド監督がジャンを常にレギュラー組に入れたことで流れが変わり始めた。21歳になったトーゴ代表MFのポテンシャルを高く評価したイングランド人指揮官は、本職のボランチで使い続けることで本格開花を促す方針だった。

 来日2シーズン目には、チームメイトたちとの関係性にも明らかな変化が見られるようになった。加入したばかりの頃はひとりでいることが多く、物静かな印象だったが、徐々にジャン本来のキャラクターを表に出すようになってロッカールームの人気者に。今では仲良し助っ人軍団の末っ子として毎日、笑顔を弾けさせている。

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