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【Jリーグ】福西崇史が振り返るジュビロ完全優勝「2002年の高原直泰は覚醒していた。すごいペースでゴールを量産」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【高原はみんなの前で泣いていた】

 ファーストステージを制しても、僕たちに慢心はありませんでした。完全優勝を目標に掲げるなかで、まだ半分が終わったにすぎない。集中力もモチベーションも高く、新たなステージに入ることができました。

 ただ初戦のヴィッセル神戸戦、2節の鹿島戦をモノにして連勝スタートができたのですが、3節で浦和レッズに負けてしまったんです。そこから4連勝と巻き返しましたが、8節のジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)戦では崔龍洙(チェ・ヨンス)に2点を決められて、早くも2敗目を喫してしまいました。

 ギリギリの勝負を制してきたファーストステージのような戦いを、うまく表現できない試合もありました。ファーストステージよりも絡(もつ)れる展開が多かったですね。勢いに乗る浦和の後塵を拝し、磐田は2位に留まっていました。

 でも、ジェフに屈したのを最後に、僕たちは負けることはありませんでした。頼りになったのは高原です。

 この年の彼は、覚醒していましたね。ワールドカップメンバーからの落選が、その原動力になったのではないでしょうか。大会直前の離脱は相当ショックだったでしょうし、まだ若かったですからね。みんなの前で泣いていたのを覚えています。

 僕にとってもチームメイトの高原の存在は大きかったので、彼がいなくなるのはつらかったですよ。人一倍、努力してきたことも知っていますから、高原の想いも背負ってやっていこうと決意しました。

 戦列に戻ってきてからの高原のたくましさは、尋常ではなかったですね。ファーストステージの後半に復帰して、すごいペースでゴールを量産し、セカンドステージも勢いは止まりませんでした。1試合で4点取ったこともありましたね。シーズン終盤も勢いは衰えず、大事な場面で取ってくれる頼もしさがありました。

 そんな高原を輝かせた中山(雅史)さんの存在も見逃せません。高原のゴールをかなりアシストしていたと思います。中山さんの献身的な動きがあってこそ、高原とのコンビネーションが築かれたのは間違いありません。ツートップの関係性が「1+1」を「2」ではなく、「3」にも「4」にもしてくれることを、このふたりの連係を見て、初めて感じることができたくらいです。

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