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【Jリーグ】福西崇史が振り返るジュビロ完全優勝「2002年の高原直泰は覚醒していた。すごいペースでゴールを量産」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【2001年のほうが相手を圧倒できた】

 メンバーに選ばれたことはうれしかったですよ。ピッチに立てたのは1試合だけでしたけど、ワールドカップに出たことで世界との距離感をリアルに感じられるようになったし、チームに帰ってきてからも意識高く取り組みました。その意味では準備からも含め、あの年にワールドカップがあったことは、自身のパフォーマンスをよりよいものにしてくれたと思います。

 ワールドカップ中断明け後も、僕らは結果を出し続けました。ファーストステージで印象に残っているのは12節のガンバ大阪戦です。常に先手を取られながらも都度追いつき、一時は2-4と引き離されながら、終盤の2ゴールで延長戦に持ち込み、延長前半の西(紀寛)のVゴールで5-4と勝ちきった試合です。

 あの年の僕たちは、延長戦になったら勝てるという自信がありました。ボールを回せる力があったので、相手は時間が経つにつれて体力が削られていくんです。後半に入ると落ちてくるので、そこでとどめを刺せればいいのですが、同点のまま終わってもVゴールで勝てるだろうと。実際にあのシーズンは延長戦で8勝1分と、かなり高い勝率を記録することができました。

 ファーストステージは結局、最後までマリノスと争いましたが、最終節で柏レイソルに勝って優勝できた時は、ホッとした気持ちが強かったですね。「両方獲る」という思いで臨んだなかで、まずは第1段階をクリアできた感覚でした。

 ただし、余裕はなかったです。振り返るとステージの半分近くが1点差の勝利でしたから。最後の柏戦も終了間際に高原(直泰)が決めてくれて、何とか勝つことができました。仮に引き分けていれば、マリノスに逆転を許していたかもしれない。だから、「2002年の磐田は本当に強かったですね」とよく言われるんですけど、個人的にはそういった感覚はないんですよ。

 むしろ2001年のほうが相手を圧倒できた試合が多かったし、やっていても楽しかった。結果重視の現実的なサッカーに傾倒するなかで、内容的によくない試合も少なくありませんでした。ただ、結果を求めて、実際に勝ちきることができた。その意味では勝負強さはあったと思います。

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