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日本対ブラジルはフットサルもすごかった ベテランライターが思い出す約40年前の国際試合 セルジオ越後やラモス瑠偉が出場

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

連載第72回 
サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 サッカー日本代表のブラジル戦の3日後、フットサル日本代表のブラジル代表戦が行なわれた。40年前に前身競技のサロンフットボールの試合を観戦している後藤氏が、フットサルの歴史と発展を記します。

【フットサルブラジル戦は日本の連敗】

 サッカー日本代表がブラジル代表に大逆転勝ちを収めて世界を驚かせた3日後の10月17日、僕は再び日本対ブラジルの試合を観戦した。フットサルの国際親善試合。舞台は静岡県富士市にある北里アリーナ富士である(今年春に開場したばかりの最新式のアリーナだが、市街地から離れているのでアクセスは悪かった)。

フットサルの日本対ブラジル戦が行なわれた photo by Fujita Masatoフットサルの日本対ブラジル戦が行なわれた photo by Fujita Masatoこの記事に関連する写真を見る さて、フットサル界のブラジルと言えば、まさに世界の王者。昨年ウズベキスタンで行なわれたフットサルW杯でも、決勝でアルゼンチンを下して優勝。過去10回の大会中6度も優勝しているという、まさに"絶対王者"的存在だ。

 そして、今回の親善試合でも日本代表に2連勝して、その強さをまざまざと見せつけた。

 とくに、僕が観戦に行った第1戦の前半はまさに圧巻のパフォーマンスだった。

 ボール扱いのテクニックがうまいのは当然として、フィジカルコンタクトの強度が高く、また競り合いの場面で相手の前に体をねじ込むことがうまいなど、1対1の競り合いでボールを失うことがない。そのうえ、コンビネーションという意味でも日本をはるかに上回っていた。

 前半の日本はボールを持っている時でも、ブラジルの"圧"を感じたのだろう。なかなかボールを前に動かすことができず、ブラジル選手たちが構えている前でボールを回すだけになってしまった。そして、勇気を持って前線の選手にボールを入れた瞬間に距離を縮められて、あっさりとボールを奪い返されてしまう。そんなプレーの連続だった。

 しかし、後半に入ると日本チームが勇気を持って前からプレッシャーをかけ、また、積極的に前線にボールを入れることで立て直しに成功。甲斐稜人や清水和也がブラジルゴールを脅かす場面もあり、一瞬サッカー日本代表の逆転劇を思い出させたが、逆に後半にも一瞬のスキを突かれて2点を加えられ、0対4で敗れてしまった。

 19日に行なわれた第2戦でも、日本は前半の7分までに3ゴールを失った。その後、前半のうちに新井裕生が1点を返し、さらに試合終了間際に再び新井がバイシクルシュートを決めて1点差にしたが、反撃もここまで。日本の連敗で終わった。

 前半は、ブラジルに押しこまれ、失点してからハイプレスをかけて形勢を挽回したあたりはサッカー日本代表の試合にも似ていたが、試合をひっくり返すだけの力はなかったようだ。

 ブラジル選手たちはあらゆる意味で日本を上回っていたが、とくにフィジカル能力の高さ(その強さの使い方も含めて)には大きな差があった。また、フェイントひとつとっても切り返しの速さや大きさに違いがあったし、パスのスピードも速く、プレーのスケール感が違って見えた。

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サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2025年、生涯観戦試合数は7500試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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