高校卒業後、即海外クラブ入りした伊藤翔「仮に高校時代に戻ってキャリアを選択するとなっても、同じ道を選ぶ」 (5ページ目)
「グルノーブルを退団することが決まった際に、単純にこの世界で試合に出ることを求めるにはもう一度自分を鍛え直すことが先決だと考え、エスパルスを選びました。当時のエスパルスは健太さん(長谷川/現名古屋グランパス監督)が監督でJ1のなかでも群を抜いて練習がキツいって言われていたんですけど、自分を鍛え直すことを第一に考えるのなら厳しい場所に身を置くべきだろう、と。あとは、岡崎慎司さん、藤本淳吾さんら、いい選手がたくさん在籍していた清水で『揉まれてこい!』と自分にハッパをかけたところもありました」
結果的に最初のシーズンはほとんど試合に出場できずに終えたものの、アフシン・ゴトビ監督が就任した2011年。伊藤は開幕戦から先発のピッチに立つ。
「正直、実力でポジションを勝ち取ったというよりは、監督の方針で若い選手を使うことに振り切ったから出してもらえた感じでした」
そのなかで、コンディションをイチから作り直し"戦える体"を取り戻したことを含め、本当の意味で"プロの世界で戦う"ということを学んだ時間は、のちの長いキャリアを支える礎になった。
「試合に出してもらう限りは、しっかり戦わなきゃ、と思う一方で、冷静に見て、そうそうたる顔ぶれを差し置いて試合に出るほど僕がいいプレーをしていたのか、といえばそうじゃなかったと思います。明らかに足りていないのも自覚していました。
だからこそ、余計にやらなきゃいけない、と思いすぎて気持ちが空回り。右膝を痛めて手術する羽目にもなってしまった。その経験を含めて、あらためて心と体のバランスがあってこそのプレーだと。そこをリマインドしながら試合に戻っていく自分を見出せたのはよかったと思っています」
伊藤翔(いとう・しょう)
1988年7月24日生まれ。愛知県出身。高校時代に「和製アンリ」と称されて脚光を浴びた万能FW。2007年、中京大中京高からフランス2部リーグ(当時)のグルノーブル入り。当時、有望な高校生が国内クラブを経由することなく海外へ渡ることがなかったため、大きな話題となった。グルノーブルに4シーズン在籍後、2010年6月に清水エスパルスに移籍。2014年には横浜F・マリノスに完全移籍した。その後、鹿島アントラーズ、横浜FC、松本山雅FCでプレー。2022年、横浜FCに復帰して奮闘を続けている。
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