検索

高校卒業後、即海外クラブ入りした伊藤翔「仮に高校時代に戻ってキャリアを選択するとなっても、同じ道を選ぶ」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 それが「プロサッカー選手として生きていくための術」だと言い切れるほどの"型"になったのは、中京大学附属中京高等学校時代だという。同サッカー部を指導していた道家歩監督は、かつて名古屋グランパスのアーセン・ベンゲル監督のもとでテクニカルスタッフを務めていた人物。その恩師によってプレーの幅を広げたことで、伊藤はストライカーとして覚醒した。

「道家監督によると、ベンゲルさんも(ドラガン・)ストイコビッチのボールの持ち方や緩急をつけるプレーに惚れ込んでいたそうです。のちにアーセナル(イングランド)で指揮を執られていた時には、そのストイコビッチのプレーをティエリ・アンリに植えつけたと聞きました。僕はそのストイコビッチのボールの持ち方を道家監督に落とし込んでもらいました。

 具体的には、歩幅やステップを含めて、どの方向にもスピードを上げられるし、スピードを落とせるといった、たくさんのプレーの選択肢を持てる持ち方というか。監督が作る練習メニューもすべてそれに準じていました。

 当時の日本は、そこまで細かくサッカーを分析できていたわけじゃなく、今の時代ほどボールの持ち方を言及されることはなかったですが、だからこそ、道家監督の指導はすごく革新的でした。その"型"を備えられたことで、より視野が広がって点を取りやすくなった気がしました」

 当時はそうした指導と並行して、道家監督から繰り返しアーセナルの試合映像や同じFWのデニス・ベルカンプやアンリの映像を見せられ、そのプレーを刷り込まれたと聞く。なおかつ、高校2年生の夏休みにグルノーブル・フット38(フランス)へ、高校3年生の夏休みにアーセナルへ赴き、練習に参加した経験は、伊藤の"海外"への欲を強めることにつながった。

「監督に言われるがまま『わかりました、行ってきます』と現地に行き、『わぁ、この選手、ウイイレで見たことがある!』みたいな環境で練習をさせてもらいました。アシュリー・コールやロベール・ピレス、ロビン・ファン・ペルシら、一緒に練習していた選手たちも、僕が道家監督に教わったボールの持ち方をしていて『やっぱりこれが世界のベースなのか』と思った記憶があります。

 正直、当時はサッカーを一生懸命やっていただけの大して意識も高くない高校生でしたが(笑)、ふだんから海外のサッカーに触れることが多かった環境のおかげで『いいプレーをしよう、サッカーをうまくなりたい』っていうより先に、自然と『いつかヨーロッパでサッカーをしたい』という思いが育まれていった気がします」

 そうした過程を足がかりに、伊藤は高校を卒業した2007年、グルノーブルでプロキャリアをスタートさせる。当時は高校卒業後、Jリーグを経由せずに海外の道を切り拓く選手がいなかった時代。それでもJクラブからのオファーは断って、日本を飛び出した。

2 / 5

キーワード

このページのトップに戻る