検索

長沢駿はなぜ、36歳にしてJ1へキャリアアップできたのか「100%でやってきたことに嘘はない」 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 そんな長沢が初めてのふた桁得点を実現したのは、ガンバ大阪に移籍してからだ。2015年夏に、前年度のJリーグチャンピオンチームからオファーを受けて完全移籍を決断すると、同年こそなかなか試合に絡めず苦しんだものの、2016年はJ1開幕戦からピッチに立ち、第2節のヴァンフォーレ甲府戦でシーズン初ゴール。特にセカンドステージではチーム最多の6得点を挙げて気を吐き、リーグ戦で計9ゴールを挙げて自身のシーズンキャリアハイを更新した。

 その勢いは2017年にも継続され、キャリアで初めてJ1リーグの全試合に出場。チーム最多の10ゴールをマークして攻撃を牽引した。

「自分の動きに合わせてくれるクオリティの高い選手が周りにたくさんいて、ピンポイントで前線にボールがバンバン送り込まれてくるガンバで、より点を取る感覚が上がっていく気がしました。ヘディングでのゴールも多かったんですが、入り方のコツをつかんだことで、絶対に決められるという自信もあった。

 でも、その"取り方"を論理的に説明できるかと言えばそうではなくて。あとから映像で見返しても、自分でも『そんな動きをしていたのか!』って驚くことが多かったんです。つまり、それはキャリアで積み上げてきたことがようやく"感覚"として備わったということ。実際、今もゴール前では無意識で動いた時のほうが点を取れる気がします」

 加えて、その姿は長沢が常に自身に求めてきた「FWは点を取ってナンボ」という信念にも後押しされたものだ。キャリアアップを目指したガンバでの1年目は厳しいポジション争いのなかでメンバー入りすらできない状況が3カ月以上続いたが、愚直に点を取ることを求め続けた日々は、決まってのちに肥やしとなり、得点につながった。

「ガンバに限らずJ1クラブになると、FWの1枠はほぼ外国籍FWが預かるので、日本人FWは残りの1枠を争うことになる。そのひとつをつかむにはやっぱり、結果なんです。

 それに、FWはぶっちゃけ、89分間いいプレーができなくても残り1分で点を取れば、ヒーローになれるポジションなので。プロとして戦い続けたいなら得点で自分を証明するしかない。それは、どんな状況に置かれても意識してきたし、そのことから逃げなかったことだけは自分に胸を張れることだと思っています」

 ガンバを離れて以降も、在籍したチームで必ず得点を挙げてきたのもそのプライドを示すものだろう。2018年夏に加入したヴィッセル神戸での半年も、仙台で過ごした2シーズンも、そして2021年から在籍した大分での4シーズンも無得点に終わったシーズンはなく、むしろほとんどのシーズンで、チームで1、2を争う得点数を刻んできた。

 でも、だからこそ――チーム最多得点を挙げた昨シーズンを終えて、大分を契約満了になった事実は重くのしかかった。

(つづく)◆悩める長沢駿にすべてを見抜いていた曺貴裁監督からの叱咤>>

長沢駿(ながさわ・しゅん)
1988年8月25日生まれ。静岡県出身。清水エスパルスのアカデミーで育ち、2007年にトップチームへ昇格。2011年にJ2のロアッソ熊本へ期限付き移籍。翌2012年には同じくJ2の京都サンガF.C.へ、2013年には松本山雅FCへ期限付きで移籍した。その後、2014年に清水へ復帰し、2015年にガンバ大阪へ完全移籍。以降、ヴィッセル神戸、ベガルタ仙台、大分トリニータでプレーし、今季から京都に加入。得点感覚に優れた大型ストライカーだ。

フォトギャラリーを見る

3 / 3

キーワード

このページのトップに戻る