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長沢駿はなぜ、36歳にしてJ1へキャリアアップできたのか「100%でやってきたことに嘘はない」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 その言葉にもあるとおり、"点を取る"ことでキャリアを積み上げてきた。転機になったのは、清水エスパルスからの期限付き移籍で経験を積んだJ2リーグでの3シーズンだ。

 2007年にトップチームに昇格して4年。足元のテクニックを武器にしていた192cmの大型FWは、ほぼ試合に絡めない時間を過ごしてきたことへの危機感もあって、2011年にロアッソ熊本への期限付き移籍を決断する。さらに2012年は京都サンガF.C.、2013年は松本山雅FCへ――。その過程で出会ったさまざまな指導者からのアドバイスは、長沢の"点取り屋"としての嗅覚を研ぎ澄まさせた。

「アカデミー時代から足元のプレーを得意としてきたんですけど、当時から背が高い=周りにはヘディングが強いと思われがちだったんです。僕にしてみたらたまたま背が伸びただけで、背が高い=ヘディングが強いとは限らないでしょ、と思っていたんですけど(笑)。

 ただ、プロになって、自分の武器を見つめ直していくうちに『背の高さも生かさないともったいないよな』って感じるようになっていたんです。だからといって、すぐに生かせるものではなく......実際に生かしきれずにいました。

 そのなかで、2011年の熊本では高木琢也監督に、ヘディングのコツというか、『ボールの回転を見て、内巻きならどこに当てるとカーブがかかる』みたいな細部を伝授してもらって。また、2012年の京都では大木武監督に動き方のところで、『クロスボールには相手の前に入っていけ』と言われ続けました。

 でもその時は、まだピンときていなかったんです。それは松本時代も同じで......。そのふたつを意識してプレーしてもしっくりきていなかった。なので、それが本当の意味で自分のものになったと感じたのは、2014年に清水に復帰してからでした」

 事実、熊本でこそ8得点を刻んだ長沢だったが、京都では1得点、松本でも3得点にとどまり、明確な"数字"にはつながっていない。それでもコンスタントに公式戦を戦いながら、自分なりに細部を意識してチャレンジを続けた経験は、2014年の清水で花開く。その証拠に、同年のJ1リーグ戦で開幕スタメンを飾ると、3月19日のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)第1節、ベガルタ仙台戦を皮切りに公式戦5試合連続ゴールを挙げて成長を示した。

「『こうやって入っていけば競り勝てるんだ』『仮に自分が合わなくても自分の後ろにいる選手が点を取れるよね』ってことが、手に取るようにわかったのが2014年で......。それが数字に表われるようにもなり、初めて自分でも"つかんだ"という感覚になれました」

 残念なことに、直後のJ1第8節、徳島ヴォルティス戦で右膝前十字靭帯断裂の大ケガを負ってしまい、戦線離脱を余儀なくされてしまったが、約7カ月後の第33節、柏レイソル戦で戦列復帰。72分からピッチに立つと、81分にゴールネットを揺らした。「取れる」という自信は色褪せていなかった。

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