悩める長沢駿にすべてを見抜いていた曺貴裁監督からの叱咤 点を求める「メラメラした気持ち」がよみがえった
ベテランプレーヤーの矜持
~彼らが「現役」にこだわるワケ(2025年版)
第2回:長沢駿(京都サンガF.C.)/後編
京都サンガF.C.での活躍を誓う長沢駿 photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る
◆前編:長沢駿はなぜ、36歳にしてJ1へキャリアアップできたのか>>
2024年はある意味、長沢駿にとって再起をかけたシーズンだった。
というのも、前年度の2023年は予期せぬ体調不良に見舞われ、約3カ月間、サッカーができない時期が続くなど、得点も含めて「チームの力になれたと思えるシーズンにはならなかった」からだ。それもあって、シーズン終了後にクラブから契約満了を告げられた時には、キャリアが終わることも覚悟したという。
「体調を崩した時もそうですが、満了になったあと、なかなか次のチームが決まらなかった時も『これでもう(キャリアは)終わっちゃうのかな』という考えが何度もよぎったし、『サッカー選手として需要がなくなったんだな』とも感じました。興味を示してくれるチームはあっても、結果的には決まらないという繰り返しで、年が明けてもオファーがないという現実を突きつけられた時にはいよいよ引退も考えました。
そうしたら、1月20日に大分から連絡をもらったんです。『外国籍FWがアキレス腱を切ってしまった。申し訳ないけど戻ってきてくれないか』と。もちろん、自分としてもそんなうれしい話はないと、ふたつ返事で再契約を結んでいただきました」
その経緯は彼の「大分のために」という思いをより強くし、また一度は"サッカー"を失いかけた事実も奮起につながって、長沢は開幕戦からメンバー入り。古巣のベガルタ仙台相手に途中出場すると、チームに勝ち点1をもたらす同点ゴールを叩き込む。その後も、初先発を任された第5節の鹿児島ユナイテッドFC戦で2ゴールを挙げるなど"結果"で応え、先発の座をものにした。
「去年は、最初こそ2トップでプレーしていたんですけど、FWを組んでいた相棒が裏抜けが得意なセンターフォワードタイプで、彼と中盤の間でボールを受ける選手がいればより彼を生かせるとなった時に、僕がその役割をしたら意外とうまくハマったんです。僕自身も、トップ下でボールも受けられるし、そこから前に入っていってゴールも決められるというプレーの広がりを持てて、新たなポジションで点を取る面白さを見出せたシーズンでした」
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