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松井大輔は引退試合でも「ル・マンの太陽」だった 稀代のドリブラーが貫いた美学 (3ページ目)

  • 中山 淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi

【雲の隙間から差し込む光のように】

 ル・マンの人たちは、今日もそんな松井のプレーが見られるのではないかと、心のどこかで期待しながらスタジアムに足を運ぶ。そして実際に、なかなか拝めないようなアクロバティックなプレーや華麗なテクニックを目撃した時に感激し、仮にチームが負けたとしても、見に来てよかったと感じながらスタジアムをあとにする。

 どこかギスギスした勝利至上主義のプロの試合のなかで、松井の魅せるプレーは、どんよりした雲の隙間から差し込む太陽の光のように感じられるのかもしれない。スタジアムでその太陽の光を浴びれば、幸せな気持ちになって、明るい希望を胸に翌朝を迎えられる。

 小さな本拠地スタッド・レオン・ボレー(当時)で松井のプレーを楽しんでいるル・マンの人たちを見るうちに、あくまでも自分なりの解釈ではあるが、なぜ松井が「ル・マンの太陽」と呼ばれるようになったのかがわかった気がした。

 もちろん、23年という長いプロキャリアを振り返れば、理想と現実のギャップに悩まされたこともあっただろう。あの華やかなプレースタイルとは裏腹に、もがき苦しみ、悩む日々のほうが圧倒的に長かったという現実もある。

 しかし、子どもの頃から追い求めていた自分らしいプレースタイルを、最後の最後まで貫き通すことはできた。理想を失うことなく、自分を見に来てくれるファンを喜ばせるためのプレーを磨くために、たゆまぬ努力を続けて苦しい時期を乗り越えることもできた。

 この日、『松井大輔引退試合 -Le dernier dribble(最後のドリブル)-』を見に来た1万人を超えるファンも、松井が奇想天外なテクニックを見せてくれることを期待しながら、ニッパツ三ツ沢球技場に集まったに違いない。

 それをわかっている松井は、だからこそ最初に「自分らしいプレーはなかなかできなかった」と口にしたのだと思う。

 日本サッカー界でも異質と言える稀代のエンターテイナーは、最後まで自分の美学を貫き、みんなの「太陽」であり続けようとしてくれた。そのことに、サッカーファンのひとりとして感謝の気持ちでいっぱいだ。

 スタジアムに笑顔と幸福感が溢れていた松井大輔の引退試合は、23年間のキャリアを集約するように、大団円で幕を閉じた。

著者プロフィール

  • 中山 淳

    中山 淳 (なかやま・あつし)

    1970年生まれ、山梨県出身。月刊「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部勤務、同誌編集長を経て独立。スポーツ関連の出版物やデジタルコンテンツの企画制作を行なうほか、サッカーおよびスポーツメディアに執筆。サッカー中継の解説、サッカー関連番組にも出演する。近著『Jリーグを使ってみませんか? 地域に笑顔を増やす驚きの活動例』(ベースボール・マガジン社)

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