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松井大輔は引退試合でも「ル・マンの太陽」だった 稀代のドリブラーが貫いた美学 (2ページ目)

  • 中山 淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi

【「大道芸人だ!」と怒られようとも...】

 当時のチームには、松井よりも重要戦力として活躍していた選手がいた中で、なぜ松井だけにそのようなニックネームがついたのか。最初にそれを知った時は、おそらくクラブ史上初となるリーグ・アン昇格の立役者のひとりになった"プティ・ジャポネ(小さな日本人)"が「太陽」のように輝く存在に見えたのだろう、という程度でしか考えていなかった。

 その意味を、自分なりに解釈するようになったのは、リーグ・アンでプレーする松井の姿を頻繁に見るようになってからのことだ。

 屈強な体の選手たちが壮絶なフィジカルバトルを繰り広げる当時のフランスリーグで、ほかの選手が絶対にしないような華麗な技を試合中に披露する松井のプレーは、極めて異質だった。しかし、松井が時折ファンタジックなテクニックを見せると、スタジアムはゴールが決まった時のようにドッと沸き、スタンドのファンは歓喜した。

「こっち(フランス)の人たちは、僕がそういった魅せるプレーをすると、すごく喜んでくれるんです」

 当時、松井本人からそんな話をよく聞いたが、実際にスタジアムでそういったシーンに何度も出くわしたことがある。

 当然ながら、チームは常に勝利だけを目指して試合に挑み、ファンもチームが勝つことを願ってスタジアムに足を運ぶ。松井もアタッカーとして、ゴールやアシストでチームの勝利に貢献したいと思ってプレーすることに変わりはない。

 しかし、たとえチームが勝ったとしても、自分らしいプレーができなければ満足できないのが、松井という選手でもあった。

 だから、時にフレデリック・アンツ監督から「ダイ(松井)はサッカー選手じゃない。大道芸人だ!」とお叱りを受けても、試合を見に来てくれるファンを喜ばせるプレーを松井が止めることはなかった。

 もっと大袈裟に言えば、ゴールやアシストといった目に見える結果よりも、自分のプレーでファンを楽しませることができたかどうかが、自己評価の最重要事項のようにも見受けられた。

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