田中順也のポルトガル時代「こんなに運がいいことがあるのか」→「お荷物みたいに扱われ」→悩んだ末に「あの時、夢を諦めた」 (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki

 帯同メンバーから、まずはベンチ入り。そして、いずれはピッチに立つ――。そんな願いは、ついに最後までかなえられることがなかった。

「(同じグループステージで)チェルシーともやりましたけど、(チャンピオンズリーグ出場という夢の実現が)もう目の前にあるのに届かない。僕は帯同メンバーに入っていて、残すはベンチ、ピッチと、"あと2歩"のところまで来ていたのに......、あの悔しさはこれから先もずっと忘れないですね」

 とはいえ、田中曰く、「欲深いことを言いだせばキリがない。悔いはあるけど、(チャンピオンズリーグに)出られずに(日本に)帰るっていうのは自分で決断したことなので」。

 実際、Jリーグ復帰に際しての決心がどれだけ強固なものだったかは、その後の歩みが証明している。

 2016年、田中はスポルティングから期限付き移籍で古巣・柏レイソルに復帰すると、翌2017年には、ヴィッセル神戸がスポルティングから田中の保有権を買い取り、完全移籍。神戸とは3年の契約を結んでいる。

 それまで無冠だった神戸に、自分が初タイトルをもたらす――。田中は次なる目標に向け、腰を据えて取り組む覚悟ができていた。

「僕は『3年の間にタイトルを獲ります』と言って、ヴィッセルに入った。ギリギリ3年目でしたけど、(2019年シーズンに)天皇杯を獲れたのでよかったです」

 キャリアにおける重要な判断を下す時、当然、得るものもあれば、失うものもある。

 だが、そのどちらについて語る時も、田中の表情が曇ることはない。

「よかったことも、悔いが残ったことも、一つひとつ挙げれば、他にもいっぱいありますからね。

(2015年ポルトガルリーグ第16節の)ブラガ戦での(決勝点となる)FKを決めたのも、(2019年J1第24節のサガン鳥栖戦で)イニエスタとのワンツーから、最後に(古橋)亨梧からパスをもらって取れたゴールも、僕にとっては本当にすごい財産。タイトルもたくさん獲れたし、幸せな現役生活でした」

(文中敬称略/つづく)◆田中順也が「娘から辞めないで」と言われながら現役引退を決断したわけ>>

田中順也(たなか・じゅんや)
1987年7月15日生まれ。東京都出身。順天堂大4年時に特別指定選手として柏レイソルでプレー。翌2010年、柏入り。同年のJ2優勝、翌年のJ1優勝に貢献した。2011年には日本代表にも選出され、2012年2月のアイスランド戦で代表デビューを飾る(国際Aマッチ出場4試合)。2014年夏、ポルトガルのスポルティングCPに移籍。2016年、期限付き移籍で古巣の柏に復帰し、2017年にヴィッセル神戸に完全移籍。2022年からはJ3のFC岐阜でプレー。2023年シーズンを最後に現役引退。2024年、FC岐阜のクラブアンバサダーに就任し、同クラブのアカデミーコーチとしても活動する。

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