浦和レッズの熱烈なサポーター村井満がジーコに質問「鹿島とのタイトル数の差は何?」 (5ページ目)
村井 そうです。実際に現地を訪れてみると、やっぱり地域とスポーツクラブとの関係性が、非常に密接なんですよ。
それ以上に驚いたのが、ジーコさんが90分間プレーしたあとも、スタジアムをぐるりと一周しながらファンサービスをしていたこと。「あれだけの国民的な英雄が、そこまでやるのか!」ということが、私にとっては衝撃的でした。あの時の強烈な体験が、その後のシャレン!につながっていくことになります。
ジーコ クラブや選手といった存在を、常に身近に感じてもらうことは大事なことだと思います。経済的に困っている人たちに対してもそうですし、日本だと自然災害によって被災した人たちもですよね。私が日本代表の監督をしていた2004年、新潟で大きな地震があった時には、日本代表によるチャリティマッチを提案しました(同年12月4日にジーコジャパンドリームチームvsアルビレックス新潟として実現)。
── 新潟でのチャリティマッチは、私も現地で取材したのでよく覚えています。こういう試合はゴールがたくさん入るものですが、両チームとも真剣勝負にこだわったせいか、スコアレスドローに終わりましたね(笑)。
ジーコ 2011年の東日本大震災でも、私たちは自ら被災地に足を運んで現地の人たちを励ましました。それはとても大事なことだと思うし、義務感でやっているわけではない。ただ「やりたいからやっている」だけなんですよ(笑)。
村井 シャペコエンセに向かう時の話もそうだし、リオでのチャリティマッチもそう。ジーコさんのなかでは、ファンへのサービスや困っている人たちを助けることが、一貫しているんですよね。損得なんかは一切考えず、それが自分の役割だから、そうしているだけなんです。そこにプロ選手としての姿勢を感じるし、我々も大いに学ばせていただきました。
(後編につづく)
◆村井満×ジーコ・後編>>鹿島アントラーズの低迷を分析&日本代表に期待すること
【profile】
村井満(むらい・みつる)
1959年8月2日生まれ、埼玉県川越市出身。日本リクルートセンターに入社後、執行役員、リクルートエイブリック(現・リクルートエージェント)代表取締役社長、香港法人社長を経て2013年退任。日本プロサッカーリーグ理事を経て2014年より第5代Jリーグチェアマンに就任。4期8年にわたりチェアマンを務め、2022年3月退任。2023年6月より日本バドミントン協会会長。浦和レッズの熱心なサポーターとしても知られる。
ジーコ
1953年3月3日生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ出身。1971年からフラメンゴでプレーし、1983年にウディネーゼへ移籍。契約問題で2年後に再びフラメンゴに戻り、1989年に一度は引退するも、1991年に住友金属(現・鹿島アントラーズ)のオファーを受けて1994年までプレー。ブラジル代表として72試合52得点を記録し、ワールドカップは1978年・1982年・1986年大会に出場。2002年から2006年まで日本代表監督を務める。
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村井満氏のチェアマン時代のことが一冊の本になりました。
1993年の開幕以来、日本プロスポーツ界に確固たる地位を築いてきたJリーグだが、長年にわたって人気の低迷と資金繰りにあえいできたことはあまり知られていない。そんな迷走するJリーグの行く末を託されたのが、サッカーとは無縁のビジネス界からやってきた男、村井満。
ビジネスの最前線で磨いてきた組織運営力を武器に、次々と抜本的な改革に取り組んでいった村井だが、そこに差別問題、ハラスメント事案、自然災害といったかつてない危機が次々襲いかかる。その極めつけがコロナ禍の到来。試合を開催できないなか、リーグ清算さえ覚悟せざるを得ないほど追い込まれた村井は、Jリーグは、いかにしてこれに対峙したのか……。
長年、Jリーグを取材し続けてきた宇都宮徹壱が、40名を超える関係者らへの取材をもとに、村井体制の知られざる真実に光を当てたノンフィクション大作。サッカーファンが楽しめる読み物としてはもちろん、スポーツビジネスの実例、リーダー論や組織論、リスクマネジメントの教科書としてもお読みいただける一冊です。
【書籍名】 異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実
【発 行】 集英社インターナショナル
【発売日】 2023年12月5日(火)
【定 価】 本体2,200円+税
【写真】堀北真希、新垣結衣、川島海荷、川口春奈、広瀬すず、永野芽郁、森七菜…高校選手権「歴代応援マネージャー」
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