守田英正×脇坂泰斗 フロンターレの同期が互いの成長を実感「海外に行けたのも、俺のおかげ」 (4ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

脇坂 それは自分も一緒です。自分もフロンターレのユースに加入できたことも、ユースからトップチームに昇格できず、地元を離れて、阪南大学に進んだことも、その節目、節目がターニングポイントだったと思います。そのひとつでも欠けていたら、フロンターレに戻ってプレーしたいという思いには、つながっていなかった。

── プロ2年目の2019年は、脇坂選手も出場機会を増やし、守田選手はチームの主軸へと成長しました。試合に出られるようになったあとも、それぞれ分岐点や葛藤した時期があったと思います。試合を経験していくなかで、それぞれどのような成長を自分自身に感じてきたのでしょうか?

脇坂 ヒデとは境遇は違いますけど、自分自身を振り返ると、ブレなかったというか、逃げなかったことが大きかったと思っています。プロ1年目はリーグ戦に出られず、クラブからは自分の将来を考えて、期限付き移籍という選択肢もあるという話をされたこともありました。

 でも、そこで自分は、フロンターレで試合に出ることにこだわりました。決して期限付き移籍を選択することが悪いというのではなく、試合に出られないからといって、そこから逃げるのではなく、当時日本で一番強くて、リーグ連覇しているチームで勝負したいと思った。

 それは、自分自身が成長していることも実感していたから。"ここ"にこだわり、"ここ"で挑み続けたから、今があると思っています。

守田 僕の場合は、ケツが決まっていたというか、フロンターレに加入した時から3年で海外に行くということを明確な目標にしていました。熱心に声をかけてくれたタツルさん(向島建/スカウト担当)には、事前にその旨も伝えていました。

 だから、1年目で試合に出場できたことはよかったですけど、2年目はケガも多くて思うようにいかず、勝負の1年だと考えていたのが2020年でした。でもそのプロ3年目に、自分は(田中)碧(デュッセルドルフ)にポジションを取って替わられるようになりました。

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