守田英正×脇坂泰斗 フロンターレの同期が互いの成長を実感「海外に行けたのも、俺のおかげ」 (3ページ目)
この記事に関連する写真を見る脇坂 あの時もヒデは(接し方が)変わらなかったよね。たしかにあの時は悔しかったし、苦しかったけど、(長谷川)竜也くん(横浜FC)、知念(慶)くん(鹿島アントラーズ)、ラルフくん(鈴木雄斗/ジュビロ磐田)たちがすぐに「メシ、食いにいくぞ!」って、なかば強引に自分を引っ張っていってくれて、なぐさめてくれたんです。
その時、知念くんが『俺なんて何度、ハーフタイムで変えられたか、わからないぞ』って言ってくれて。あの言葉に救われました。でも、ヒデはあの時も普通で。
── 先輩たちが慰めてくれた行動と同じく、同期のその反応がうれしくもあった?
脇坂 まさに、そうなんです。
守田 同期として切磋琢磨するだけでなく、お互いに自然体でいられる相手がいたことは大きかったですね。
脇坂 だから、彼が免許を失効しているのを知らずにクルマを運転するという、不祥事を起こした時も......あっ、これ言っちゃダメだった?(笑)
守田 大丈夫。事実だし、そのことは自分の本にも書いているから。
脇坂 その時も、逆に触れないようにするのではなく、あえてその日に食事に誘いました。さすがに落ち込んでいるだろうなと思っていたら、反省するところは反省しつつも、ふだんと変わらない守田英正でした。
こっちは励ます意味も含めて、イジろうと思っていたんですけど、そんな気を遣う必要もなかったというか......。
守田 その時も、泰斗は変わらなかったですね。だから、一緒にいてラクなんですけどね。
脇坂 同期なので、周りから比較されるというのは認識しつつも、当事者である自分たちが比較しないことが大事だったと思っています。
── 同じ時代を生きているふたりにとって、それぞれターニングポイントを挙げるとすると、どこなのでしょうか?
守田 僕はすべての決断がターニングポイントだったように思います。流通経済大学への進学を選んでいなければ、フロンターレに加入することもなかったと思うし、フロンターレに加入しなければ、サンタ・クララに移籍することも、スポルティングでプレーする今もなかった。
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